釣りのテーマソングのようなものを持っている方は、結構多いのではないだろうか。
いつも釣りの行き帰りに車の中で聞く曲、釣りの最中についつい口ずさむ曲などなど。
僕には、釣り場に向かう時から釣りから帰ってきて眠るまで、頭の中でぐるぐるとリピートされ続けている曲がある。
『もう終わりは近いし
時間も限られている
僕はボロボロになり
帰り道も見つからない』
聞けば聞くほど、釣りにぴったりの曲だと思う。
僕は、21世紀の魚釣りというものは、とても刹那的なものだと思っている。
今にも消滅しそうな今しかない自然、その中に生息している、今釣りに行かなければ滅びる可能性の高い魚達。
そのような魚を釣ることに生き甲斐を感じるなら、今この時を一刻も無駄にすることはできず、他のたくさんのことを犠牲にしてでも、魚に出会いに行くしかなくなってしまう。
そして、念願かなって、希望通りその魚を抱き上げた時、一瞬の興奮と感動の後に、冷たい北風のような、むなしさがふと訪れる。
この夢の魚のために、どれだけの犠牲をはらい、どれだけのものを失ったのだろうか。
もう決して元の生活には戻れない所に、いつの間にか来てしまっている。
選択肢は、二つしかない。
釣りを止めて冷たい街に戻り、できる限り元の生活に近い暮らしをするか、ここまで来たら、もう歩みは止めずに、そのままさらに自然の中に深く入っていくことか。
今のところ、僕は残りの人生をコンクリートに囲まれて暮らす勇気はないので、『帰り道を失った』と歌いながら、深い森の中へと歩みを進め続けている。