釣りにゃんだろう

猫のように気まぐれに 独断と偏見に満ちた釣り情報をお届け

釣り雑誌と退職届け。

何年か前のこと、ある初冬の雨の休日に、私はこたつに入り横になりながらテレビを見ていました。

頭の横には、古本屋で200円で買ってきた、読みかけの渓流ルアーの季刊誌が裏表紙を上にした状態で転がっています。

ふとその裏表紙のルアーの広告に目線を向けてみると、窓の外からの光に反射して光る紙の表面に、なにやら文字が浮かび上がって見えるではないですか。

どうやら前の持ち主が下敷き代りにこの裏表紙を使って何かの書類を書いたようで、その筆圧で文字の跡が刻まれていたのです。

 

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こうなってくると、「何が書いてあるのかな?」と気になって仕方ないですから、こたつの魔力によりすっかり廃人化した身体に鞭を打って腕を伸ばして雑誌を持ち、光の反射の加減がちょうど文字が読みやすくなる様に傾けてみました。

そうしてみると、ばっちりと全ての文字が読めてしまったのですが、これがなかなか衝撃的なものだったのです。

釣り雑誌を下敷きにして書かれていたのは、なんと「退職願い」でした。

どういった仕事をしていて、どこに住んでいて、どうして辞めるのかなど、個人情報がダダ漏れなのにビビってしまいましたが、釣り雑誌の裏で退職願いが書かれていたなんて、ちょっと色々と想像してしまいました。

 

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休みが不定期で忙しそうな仕事のようでしたから、きっとこの退職願いを書いた人は、心行くまで釣りを楽しめる人生は送れていなかったのではないかと思います。

仕事が嫌になったとか、他の仕事がしたくなったとかの理由もあるのかもしれませんが、安くはない雑誌を買って日頃から熱心に読んでいるくらい釣り好きなのですから、とにかく仕事を辞めて釣りをしたかったのかもしれません。

表向きは他の理由が書いてありましたが、もっと自由に釣りがしたいために辞めてしまった可能性もあると思います。

日頃から真面目に実直に暮らしている方達は、「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、このような人は実は結構いるものです。

 

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釣りに関わらず、とにかく「今しかできないこと」を優先して生きている人は一定数はいますし、それでも人生はなんとかなってしまうことも多いようです。

よく旅をしている外国人に「国では何をしているのか?」と聞くと、「仕事は辞めてきた」と言う人が沢山います。
海外と日本では少し事情は違うかもしれませんが、こんな風に仕事を第一に考えなくたって、なんとか生き残ることはでき、懐は豊かではなくとも、心を豊かに生きることは可能なのだと思います。

 

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ですから、仕事が忙しくて釣りに行けない人が、どうしても釣りがしたいなら、仕事を辞めてしまっても、間違いではないのかもしれません。
それで生活していくことに困ることになる可能性もありますが、「釣りに行きたいな」と思いながらひたすら老いていく人生と、多少困難はあっても今やりたいことができる人生と、どちらが後悔が少ないでしょうか。

人生なんて、いつでも数秒後には終わる可能性もあるわけですから、私は後者の人生を選ぶことは間違いではないと思います。

退職願いを書いた前の持ち主に幸あれと、私は静かに雑誌を床に置き、待ち遠しい春の釣りの日を夢見ながら昼寝に入るのでした。