J3に所属する藤枝MYFCのゴールキーパーコーチのシジマールが、ゴールキーパーに負傷者が出たため、選手登録される模様です。シジマールは現在、なんと54歳。キーパーはまだ二名が健在なため、まず出番はないでしょうが、驚きです。
そんなシジマールは、かつてクラブを運営し、Jリーグ入りを目指していたこともありました。
シジマールとは?
シジマール選手は、1962年ブラジル生まれのゴールキーパーです。
93年に清水エスパルスに加入、94年限りで退団するも、サポーターが復帰を望む署名活動を行ない、95年もキーパーコーチ兼任でプレー、そして引退していました。
引退後は日本の高校、大学、柏レイソル、ヴィッセル神戸などで、GKコーチを務め、今年から藤枝MYFCのGKコーチに就任しました。
現役時代は、長い手足でJリーグ記録の731分間連続無失点を達成するなど活躍。
浦和レッズのサポーターと揉めて、土下座をして謝るなど、人柄の良さも滲み出ていましたね。日本語もペラペラです。
そんなシジマールが、かつて代表を務めたVOLARE FCとは?
VOLARE FCとは、現在ヴォラーレFC浜松と改称して活動を行っている、かつてシジマールが代表を務めたクラブです。
2006年にFC HAMANAを母体として発足。浜松市からJリーグを目指すという目標を掲げます。
この年にシジマールは監督に就任しています。監督は一年だけでしたが、その後もテクニカルアドバイザーとなり、2009年には代表取締役に就任し、運営もシジマールの個人事務所が行っていました。
クラブは、2007年に静岡県西部1部からスタートし、毎年昇格を繰り返し、2011年には東海2部まで昇り詰めますが、一年で降格。
また、2012年には、シジマールがクラブを手放したとのことです。やはり、クラブ運営というものは、なかなか難しかったのでしょうか。
クラブは、現在も静岡県一部リーグに所属し、活動を行っているようです。
Jリーグを目指したものの、頓挫して消滅してしまうクラブも多い中、「浜松市からJリーグを!」と謳い現在でも生き残っています。
あなたの身近にも、このように地道に戦うサッカークラブが、意外とあるのではないでしょうか?
探してみると、楽しいかもしれませんね。