「逃がした魚は大きかった」という言葉があります。
この言葉は、本当によく釣り人の心理を捉えているものだと思います。
針掛りした魚が、バレたりラインブレイクしたりして逃げてしまうと、釣り人は悔しいものです。
その悔しさは、釣り人の冷静な判断力も奪うもので、逃がした魚をより大きく感じさせてしまったりします。
本来は、「準備を怠ったり判断を誤ると、大きな成果を逃すことになる」というような意味の言葉なのかもしれませんが、釣り人は魚を逃がしてしまえば、あまり大きくない魚でも、「デカかったよ~」と悔しがるもので、そういった心理を捉えているという意味で、よくできた言葉だと私は思います。
このようによくできた言葉だと思うからこそ、私は逆に「逃がした魚はデカかった」と思わないことが釣りには大切なのではないかと、日頃から思っています。
その魚が本当に大きかったにしても、実はそうでもなかったにしても、「逃がした魚は大きかった」と悔しがると、もっと悔しくなってきてしまうのではないでしょうか。
その結果、そこから冷静に釣りを続けることができなくなり、挽回するチャンスまでも逃すことになるかもしれません。
そこで、逃がした魚がデカかった気がするのは、逃がしたからそう思うだけで、実際にはそうでもなかったのだろうということにしておけば、その後もそれほど落ち込んだりせずに落ち着いて釣りが続けられるはずです。
そうすれば、その後に本当に大きな魚を釣るチャンスも、やってきやすいかもしれません。
ですから、私は魚に逃げられて「今のはデカかったかも」と思いかけても、「気のせいだ、気のせい。逃げられたから大きく感じるだけだ」とすぐに思い直し、「逃がした魚はデカくなかった」と思い込むことにしています。
心の平穏を保ち落ち着いて釣りをするにはよい方法だと思っているのですが、どうでしょうか?