釣りにゃんだろう

猫のように気まぐれに 独断と偏見に満ちた釣り情報をお届け

釣りの帰り道。

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二週間ぶりに山を下りて、バスと電車をを乗り継ぎ、それから40分ほど汗をかきながら坂道を登ると、久しぶりにベッドのある寝場所に辿り着いた。
モンゴル風の質素な観光施設なのだが、素泊まりでゲルを安く宿泊に貸し出していた。
その年の春は、モンゴルに行く予定がなかったから、釣りをした後にゲルに泊まって、僅かでも行った気分を味わおうという、せめてもの自分への慰めである。

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頭に手拭いを巻き付けた老夫婦が、ああだこうだ言い合いながら、二人でせっせと花壇に赤い花を植えている。
ここを運営しているわけでは無いけれど、土地の持ち主か何かで、手入れをしているのだと言う。

おじいさんに、何をしにこんな所に来たのかと聞かれたので、「釣りをしに来ていて、明日近くの空港から飛行機で帰る途中にに立ち寄った」と僕は説明した。
こうなると当然、「何を釣るのか」と聞かれるのが自然な流れで、僕は「イトウだ」と答えた。
おじいさんは、イトウを知っているけれども、見たことはないらしい。北海道のお年寄りにイトウの話をしても、だいたい何処でもこんな感じの反応だった。

それから、僕が明日どこの街へ帰るのか言うと
「あれ~、娘と同じだ~」
おじいさんは、突然大声を出して驚いた。

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自分の故郷を言っただけで、こんなに驚かれるとは、僕も驚かずにはいられなかった。
笑顔のまま、おじいさんは、和やかに話を続けていった。

娘さんは、僕と同じ街に住んでいたが、去年大病を患い、有名な脳外科のある病院で手術を受けた。
しかし、ほとんど意識が戻ることもなく、三か月後に亡くなったそうだ。

そんなことがあったから、何度も訪れた僕の街が思い出深いらしい。
そして、その街から、今日は奇妙な若者が一人やってきたというのだから、なんとも不思議な縁を感じてしまったらしい。
それは、決して明るい思い出ではないはずなのに、二人は笑いながらあれこれと話し、僕をもてなしてくれた。
僕は、病院の場所なども詳しく知っていたので、色々と話に乗ることはできたものの、悲しい話にどんな顔をしていいのか分からずに、「ああ」とか「はあ」とか、曖昧な返事と曖昧な表情を浮かべることしかできなかった。

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日暮れが近づき、二人が帰ってしまうと、完全な静寂が訪れた。
それにしても、なんだか奇妙なところだ。
ウサギは野放しでぴょこぴょこ走っているし、馬や羊はうろうろしているし、人間は誰一人いないし。
ぼんやりと、夢の中を彷徨っているようだ。
ゲルに一晩泊まって、朝が来たら開けっ放しで勝手に帰っていいと言う。
決してモンゴルの雰囲気ではなかったのだけれど、さっきの夫婦との触れ合いもあり、ここに泊まった価値は十分にあったと思えてきた。

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夕焼けと二週間ぶりのベッドの蒲団の暖かさと缶ビールの味に感動すると、僕は深い眠りに落ちた。
夜が明けたら、曇り空の下、リュックを背負って出発するだけだった。
山羊が僕をじっと見つめていたから、手を振って別れた。
駅まで歩き、通学の高校生だらけの電車に乗り込むうちに、僕はすっかり現実の日本の街の世界へと戻っていった。
あとは、夫婦の娘さんの亡くなった街へと、ひたすら帰っていくだけだった。会ったこともないその人の幻影が、どこかで見られるんじゃないだろうかと、不思議なことを考えながら。