酔い潰れてチャンスを逃すなど、かなり釣りに対して投げやりになってきたこのあたりで、このキャンプ地での暮らしぶりについて、少し説明しておこうと思う。
このキャンプ地には、寝室となる小屋がいくつか、食堂とシャワールームと洗面台がある建物、倉庫らしい建物、これだけのものが開けた草地の上に建ち並んでいる。
車では来ることは難しいらしく、資材を運ぶには、船か馬かラクダということになるだろうから、建設するのは、かなりの重労働だっただろう。
当然、水道・ガス・電気といったものは、何一つとして通っていない。
けれども、この土地で、総勢12人の国籍も様々な人間が、何一つ不自由なく、毎日気ままに暮らしているのだ。
もちろん、それなりの準備はされているわけだけれども、こうして暮らしていると「あれが無い、これが足りない」と常に騒いでいる、街に住む人々が、ひどく滑稽に見えてくる。
食糧が備蓄してあり、最低限の火と水が電力あれば、あとはのんびり暮らせる。ここでの暮らしは、人間はとてもシンプルなものなのだと、思い出させてくれる。
まず、火についてだが、食堂にはガスボンベが一つあるようだ。野外で調理や暖をとったり虫を避ける時には、そこら辺にいくらでも木があるので、燃やせばいい。乾燥しているので、日本よりも簡単に、すぐに火が着く。
水については、いくらでも川に流れている。
その水をひいて、水道やシャワーや調理に使っている。
沸かしても、ちょっと独特な味がするけれども、死ぬことはないだろう。
電気については、おそらくガソリンを利用した小さな発電機があって、夕方から夜中に少しの時間だけ動かされる。
部屋の灯りと、デジカメなどの充電に使われるだけたので、そこまで必要性を感じない。
ライトと予備の乾電池、カメラの予備の充電池などを持っているので、10日間で僕は一度もこの発電機の電力を使う必要はなかった。まだまだ余裕があったので、このわずかな持ち物だけでも、3ヶ月は電気が無くても不自由はしないと思う。
こんな風に、自然の中で暮らす方が、必要なものは少なく、生活の悩みもないものなのだろう。
事前に食糧などが準備されていることは大きいけれど、身体一つあれば何とかなってしまう。人間も一応動物なのだな、と思い出すことができる。
動物と言えば、この辺りには、狼や熊やなど、ちょっとお目にかかってみたい動物達が生息しているはずなのだが、それらはおろか、鹿一匹さえ見ることができない。
何度か、夜中や明け方の森の中で、「何かいるな」という気配は感じたことはあるものの、一匹も野生の大きな哺乳類を見ることはできなかった。
これは、きっと自然が広大で人間と動物との距離がとれているからなのだろう。
かなり離れた距離からでも、動物達は異質な人間の存在に気がついて、必要以上に近づかないようにしているのだと思う。
どこへ行っても、鹿や狐だらけの北海道などとはだいぶ違うし、ああいった状態は、人間が増え過ぎ自然が破壊された、かなり異常な状態なのだと思う。
よくレンタカーに乗った観光客が、鹿や狐や狸を見つけて、「北海道は自然がいっぱいだ」などと喜んでいるが、実際にはそんなことはなくて、自然のバランスがぶっ壊れているのだと思うのだが、どうだろうか。