私は、釣った魚をリリースすることがほとんどですが、針の掛かった場所が悪かったり、魚が小さすぎたりして、釣った魚が「逃がしても死んでしまうだろうな」という状態になってしまうことが、どうしても稀にあります。
こういうことがあると、少し釣りをしたことを後悔するわけですが、私はそのまま魚を逃がすことにしています。
釣った魚がこういった状態になった時に、持って帰って食べるという人がいます。
これは自分のしてしまった行動に対して責任をとる、ひとつの答えではあるとは思いますが、そのまま逃がしてしまっても、実はものすごく悪いことではないと、私は思っています。
弱ったり死んでしまった魚は、他の魚や動物に食べられたり、分解されて養分になるはずです。
ですから、自然の中では、しっかりと役に立ち、全く無駄にはならないはずだからです。
釣りという人間の楽しみで魚の命を奪ってしまったことは、間違いなく悪いことなのでしょうが、魚には死んでもまだ立派な役割りがあるのですから、逃がしてしまっても良いのではないでしょうか。
釣りをしているとよく考えることなのですが、自然には無駄というものが全くありません。
全ての物が関係し合い、それぞれに役割があり、生きて死ぬことに必ず意味がある世界です。
この世界に死んでも何の役にも立たない無駄なものがあるとすれば、人間くらいのものなのではないでしょうか。
無駄に増え、自然を壊し続けるという、とんでもなく厄介な人間という生き物が、どうして地球に誕生してしまったのか、不思議でありません。
そんなことを考えながらも尚、魚釣りなんて自然を傷つけることをしているのですから、私こそが罪深い人間の代表のようなものなのかもしれませんね。