気づいてみたら、私はもう何年も基本的に鮭や鱒の仲間しか釣っていません。
所謂トラウトフィッシングというやつしかやっていないのです。
それほどまでに、私にとってはこの釣りが魅力的であるということなのでしょうか。
今回は、トラウトフィッシングのどのような点が魅力なのか、少し考えてみたいと思います。
釣り場の環境が比較的良い。
トラウトが釣れるような場所は、比較的自然環境の保たれた静かな場所が多いです。
私は人間が嫌いですので、釣りをする目的の一つとして、自然の中で一人で静かに過ごしたいということがありますから、この点はとても魅力的です。
動物達の足音が聞こえてくるような深い森の中で一人、他人を気にすることなく釣りに没頭できるのは、トラウトフィッシングならではのことではないでしょうか。
もっとも、あまりに釣果にこだわりだすと、人の沢山居るような有名ポイントや自然破壊の進みまくった場所にも行く必要が出てきてしまうので、ちょっと悩ましいところではあります。
魚体の美しさ。
私は、釣りに釣った魚を食べることを、全く求めていません。
魚を食べることは特別嫌いではありませんが、魚臭い魚を持ち帰って調理するなんてことは面倒でたまらず、できる限り避けたいです。
ですから、釣った魚は写真を撮ってリリースします。
この時に見られる、水中で生きているトラウトというものは、一匹一匹がそれぞれ違った息を飲むような美しさを持っていて、感動させられるものです。
魚を釣ったという充実感だけでなく、自然が生み出した美しさに心を奪われ、幸福感のようなものも感じられるのです。
魚というものは、よく見てみればどんな魚でも、美しかったり面白いものかもしれませんが、トラウトの美しさというものは格別なのではないでしょうか。
以上のように、トラウトフィッシングの魅力は、静かな森の奥で人知れずエキサイティングな体験ができ、釣れた魚の一匹一匹がそれぞれに違った美しさを持っていることにあると、私は思っています。
そんなことを思っているうちに、随分と沢山の魚を釣ってしまい、それだけ沢山の魚を傷つけ罪を重ねてきたわけですから、あまり誉められたことではないのかもしれません。
しかし、釣りをするお蔭で、ちょっとは夢や希望を持って日々生きてこられたわけで、毎日食事を摂ることと同じように、私にとってはどうしても必要なことだったのだろうと思い、なんとか釣りを続けています。