朱鞠内湖にハッスル岬と呼ばれる場所がある。
これは、今から十年以上前に、「ハッスル、ハッスル」で有名な格闘家の小川直也がNHKの釣り番組の撮影でやって来て、その岬に上陸して釣りをしたことから名づけられた。
「ハッスルは、どうでした?」
「明日は、ハッスル行きたいなぁ」
「ハッスルで、でかいのバラした~(泣)」
というような会話が毎日聞かれるように、今では日本中から訪れる釣り人にこの名称がすっかり定着している。
さて、このハッスル岬に、この湖でイトウ釣りをするようになって数年がたっても、僕は行ったことがなかった。
ボートから常に人が攻めているような所だったし、あまり良い結果を聞かなかったからである。
ある年の五月、朝から大風と雨で、昼から天候が回復する予報の日があった。
「無理をすることもないか、時間はいくらでもあるんだから」
と、のんびり午後から釣りをすることにした。
雨が降りしきる中、テントを出たくもないので、朝は限界までトイレを我慢してみたり、雨が上がってからは、毎日テントにいたずらにやってくるキツネと追いかけっこをしたりして、優雅に午前中を過ごした。
「計画通り」とほくそ笑みながら、晴れた空の下、昼から釣りに行くと、珍しく今日はハッスル岬に人が入っていないという。
しかも、今年は妙にハッスル方面で、よく釣れているらしい。
「これは、今日こそ初ハッスルするべきか」と閃き、ハッスル岬に行ってみることにした。
ロッドには、日ごろあまり使っていないミッチェルの300xをセットした。見た目は好きだけれど、若干、気に入らないことがあるリールだったので、半日くらいなら我慢して使ってみようかという考えである。
辿り着いたハッスル岬には、いい塩梅に向かい風が吹きつけて波が押し寄せ、波打ち際でワカサギが群れてウヨウヨしている。
イトウさんは、ワカサギが大好物なので、これは絶好のチャンスと思ったけれど、釣れてくる魚は銀ぴかのサクラマスばかり。
岸沿いにチヌークの7グラムといった軽いスプーンを投げて、ワカサギの寄っている岸寄りを重点的に攻めながら、歩いて進んでいくと、5メートルに一匹くらいの頻度で、サクラマスが釣れてしまう。
初めのうちは、そのスピード感あふれる引きを楽しんで、釣っては逃がし釣っては逃がしを繰り返していたけれど、だんだんと外道の嵐に焦燥感が湧き上がってくる。
イトウさんは居ないのか、居てもすばしっこいサクラマスが先に食いついてきてしまうのか。
夕闇も迫り、「今日はダメかあ、ハッスルできなかたなあ」と、諦めかけてトボトボ歩いていると、ワカサギが岸に追い込まれて、何者かに「ガバッ!」っと襲われているのを発見した。
今まで、こういった場面を見つけられれば、9割がたイトウが釣れていたので、一気に緊張と興奮の渦に僕は落ちていった。
ブルブル震える手で、ルアーをゆっくりとひらひらとフォールする「バイト」の8グラムに、焦りながら交換する。
軽く沖にルアーを投げ、ワカサギが群れているあたりを、ゆっくりゆっくりとルアーを上下にひらひらさせながら引いてくると…
沈んだルアーをふっと浮かせた瞬間に、ゴンゴンゴンゴンと強烈なあたりがあった。
思ったよりも強烈な抵抗に合い、押した引いたのスリリングなやり取りの末、ネットに収まったのは、80㎝ないくらいのイトウ。
太っていてなかなかいい魚である。半日の釣果としてなら、そう悪くないだろう。
「いやあ、ハスッルしちゃったなあ」
と、泥まみれになって僕は満足をしたけれども、大満足とはいかないのであった。
それは、これより大きい魚に前々日に逃げられていたことや、暗くなって雨も降ってきていたので、いいカメラを離れた場所に置いてあるリュックの中にしまってきてしまい、しょぼいカメラでしか魚を撮れなかったことなど、多少の後悔や心に引っ掛かるものがあったからである。
こんな風に、釣りはやればやるほど、感動的な良い思い出も増えるが、同じくらいに後悔や悔しさも増えていく。
この絶妙なバランスが、人をハマらせてしまうのではないのだろうか。
これは、他の趣味やスポーツでも同じことが言えるのではないだろうか。
スポーツをするにしても、観るにしても、ギャンブルをするにしても、この絶妙なバランスに人は魅了され、ハマり、極端な場合には人生を捧げたり、棒に振ったりしてしまう。
「おそろしい。釣りのせいで人生が破滅するかもしれない」
と震えながら、僕は夕暮れ時の氷雨に打たれていた。
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