「勝ち組・負け組」なんて言葉があるくらいですから、現代は中々の競争社会なのだと思います。
経済的格差もどんどんと拡がっていますし、ごく一部のお金持ちになるルートから外れた人は、あまり豊かな暮らしを送れないまま一生を終えることになります。
こういった社会の是非の話は抜きにして考えてみても、なんだか疲れる世の中なのは違いないと思います。
必ずしも経済的な豊かさが心の豊かさに繋がるわけではないですが、どうしてもどこかで他者と競ったり、お金の心配をしながら生きていかざるをえないのですから。
さて、こんなに生きていくだけで疲れてしまうような世の中なのに、釣り人の中の一部には釣りの世界でさえ、他人と競いたがる人がいるようです。
様々な釣りに大会なんてものもありますし、大きさを競う「ダービー」のようなものも、よく開催されています。
「他人より釣りたい」と思うのは誰にでもあるような素直な欲求ではあると思いますが、よくよく考えてみればバカらしいものです。
アメリカのバスプロのように、本当に釣りのプロだったら、バチバチに競うことに意味はあるでしょうが、お遊び程度の大会や催物で競って、人より釣ることに一体どれだけの意味があるのでしょうか。
釣りは、ただの趣味なのですから、いくら他人より沢山釣ったり大きな魚を釣ったって、特に凄いとか偉いとかいうことはないはずです。
本来釣りとは、魚を釣って本人が嬉しければ、そのことだけでかけがえのない価値があるもののはずですから、わざわざ他人と比べる必要はないものでしょう。
釣り大会などで勝った人は、本人は勝ち誇った気になって嬉しいのかもしれませんが、この釣りの本質というものから考えてみれば、別に凄くも偉くもないわけです。
近所の川でフナを釣って喜んでいる子供と実際には何も差はない状態であり、他の釣り人からしてみれば「よかったですね」と声をかけてあげるくらいしかできないほど、どうでも良いことなのではないでしょうか。
釣りがある程度上手になってくると、人と競うことで新たな楽しみをプラスしたくなってくるのかもしれませんが、ちょっと冷静になって考えてみれば、その楽しみは何とも薄っぺらく、釣り本来の喜びから外れたものだと気づくのではないでしょうか。
こんな世の中なのですから、釣りの時くらいは他人と競うのはやめたいものです。
もしも競いたくなってきてしまったら、ちょっと立ち止まって釣りを始めた頃のことを思い出してみましょう。
一匹の魚が釣れた時の感動、あれこそが釣り本来の喜びであり、それを得るためには、他人と競う必要はまったくないはずです。