釣りにゃんだろう

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釣りの競技会や大会。

日本には昔から、釣りの競技会や大会といったものがあります。
アユ、ヘラ、チヌ、グレ、など、海でも川でも様々なジャンルの釣りで行われています。

ああいったものは、ほとんどが釣り具メーカーの販促といった意味合いで行われているのだと思います。

ですから、同じ釣りでもメーカーごとに違う大会が行われていて、日本一の人が各メーカーの大会ごとに存在するという、ボクシングなどの格闘技のような、なんとも奇妙な状況になっています。

 

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各メーカーは、競技会で活躍するような釣りの上手い人と協力して道具を開発し、そしてそれを使う釣り人がまた競技会で釣りまくり、その様子を見た一般の釣り人が「これは凄い。私もあれを使いたい」と思う。
このような仕組みを期待して、大会や競技会といったものを釣り具メーカーは開いているのだと思います。

 

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私は、こういった類の釣りは、本当にくだらないし、あまりに心が貧しいと思います。

釣りというものは、沢山釣った人が偉いなんてものではないはずです。
確かに沢山魚を釣る人は、技術的には凄いことには間違いありませんが、だからと言って偉いわけでも、そのことに特別価値があるわけでもないはずです。

本来、釣りというものは、自分が釣りたい魚を釣るために工夫と努力をして、その魚が釣れたのなら勝ちであり、他人と競うものではなく、自分自身との戦いのはずです。

それを、魚という命にポイントを付け、ひたすら釣ることを競うとは、なんとも心が貧しい釣りであるとしか思えません。

 

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しかも、その大会や競技会は釣り具メーカーが金儲けのためにやっているのですから、もうどうしようもないくらい卑しい釣りであると言えるのではないでしょうか。

大会や競技会で優勝したって、凄いけれど偉くはないのです。
ああいったものに影響され過ぎると、自分を見失い、釣り本来の喜びも忘れてしまうのではないでしょうか。
もうそろそろ、数を競うような、いかにも旧世紀の日本的な卑しい釣りは止めた方が良いのではないかと、私は常日頃から思っています。