北海道で川や湖でトラウトを釣る場合、原則的には入漁料等のお金を払う必要ありません。
禁漁期間も春のヤマメを除いてはないので、基本的にいつでもタダで釣りをすることができます。
ですから、お金を払って釣りをしたことがないという人も北海道には沢山居るわけで、本州や四国や九州の釣り人からしてみれば、ちょっと信じられないような状況かもしれません。
そんな北海道の中でも、一部の漁業権の設定された湖や川や管理会社が魚を放流しているダムなどでは、お金を払って釣りをする必要があります。
こうした釣り場は、北海道の中ではちょっと特異な釣り場であり、釣り人達からの評価も別れるような場所でもあります。
入漁料の必要な釣り場の釣り人からの評価。
そういった釣り場において、お金を徴収しているということは、魚や卵を放流するなりして増殖しているということになります。
つまり、やや自然な状況ではないわけで、100%天然の魚だけが居るわけではないのです。
タダで天然の魚が釣れる場所と、お金を払って人の手が加わった釣り場で釣りをするのでは、どちらが釣り人に喜ばれるでしょうか?
やはり、基本的にはタダで天然の魚が釣れる場所が喜ばれ、有料の釣り場に対する評価は低くなるのではないでしょうか。
よって、相当特別な魚が釣れるわけでもない限り、釣りをやりこんでいる人ほど、有料の釣り場を嫌い避ける傾向が強くなるのではないでしょうか。
例えば、阿寒湖や阿寒川は、結構なお金を徴収して魚を放流して遊漁に力を入れている釣り場です。
この阿寒湖や阿寒川は、一部の釣り人達からは「管釣り」などと揶揄され、かなりバカにされているようなところがあります。
私は、「そこまでバカにしなくたって良いのではないか、アメマスがどんな色と顔をしているのか見てみたいな」とは思うものの、近くを通ることがあっても一度も釣りをしたことはありません。
やはり、有料で魚を放流している釣り場というものは、北海道の中では魅力の乏しい場所となってしまうのではないでしょうか。
これが入漁料が数百円程度の場所なら、そもそも魚の資源をろくに管理していないはずなので、あまり釣り人からの評価は低くなりません。
しかし、高いお金をとって人が手を加え管理し魚を増やすほど、釣り人からの評価は低くなっていくものでしょう。
魚が増えるほど釣り人から嫌われるだなんて、なんだか少し面白い話です。
こうした傾向は、自然の魚が比較的豊富で、基本的には入漁料の要らない北海道ならではの現象なのではないでしょうか。
例えば、本州の中禅寺湖では、結構な値段のお金を徴収し、毎年大量のトラウトの稚魚を放流しています。
しかし、あまり釣り人にバカにされることはありませんし、喜んで通っている人が沢山います。
これは、釣り人が多く魚が少ない本州には、タダで天然の魚が沢山釣れるような場所が存在しないからでしょう。
このように、北海道の有料の釣り場について考えてみると、釣り人からどのような釣り場が喜ばれるかは、その地域の状況次第だということが分かります。
有料の釣り場の存在意義。
イマイチ釣り人からは評価されない、こういった北海道の有料の釣り場にも大きな存在意義があると、私は思います。
まず、確実に魚が居て情報も多く、気軽に釣りができるので、道外からの釣り人には、とても便利なものでしょう。
道外から釣りにきて、僅かな期間で魚を釣りたかったら、こういった釣り場を選ぶのが確実でしょう。
釣りの観光地的な存在として、とても存在意義がある場所だと思います。
それから、何よりもちゃんと管理がされているという点が、北海道においては貴重で存在意義のあることだと思います。
入漁料のかからない釣り場は、今は魚が釣れていても、今後どうなってしまうのかは、全く分かりません。
いつ開発が進んで釣り場が潰れしまうか分かりませんし、いつ誰かが乱獲して魚が居なくなってしまうか分かりません。
タダで自由に釣りができるということは、こういったリスクをはらんでいるということでもあるのです。
これが入漁料が徴収される釣り場なら、ちゃんと管理者が居て、それなりに魚が居なくならないように守っているものなのではないでしょうか。
ちゃんと管理されているなら、安心して釣り人は今年も来年も釣りを楽しめるはずです。
以上のように、北海道で入漁料のかかる釣り場というものは、決して釣り人から高い人気がある場所でありません。
しかし、それなりに存在意義はあるので、なくてはならない場所でもあるのではないでしょうか。