釣りにゃんだろう

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釣りから帰ってきて、お湯で手が洗える幸せ。

私は、釣りを終えて、お湯が出る水道で手を洗う瞬間に幸せを感じてしまいます。

泥だらけでやや魚臭くなり、一日中寒風に冷やされガサガサになった手を、温かいお湯で思う存分洗うことができるなんて天国のようだと思います。

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今の若い人達には信じられないかもしれませんが、私が子供の頃には、今のように家中どこの水道からもお湯が出る家というのは、まだ少なかったと思います。
私の家もお湯が出るのは台所の湯沸し器とお風呂だけでしたから、真冬でも洗面所などで冷えきった水で手をや顔を洗っていました。

それが今ではどうでしょうか。
家中どこの蛇口からもお湯が出ますし、釣りの帰りに立ち寄った公衆トイレなんかでもお湯が出ます。
子供の頃はあんなに特別だったことが、今では簡単にどこでも体験できるのです。

 

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こういった「当たり前のようなことの中にも幸せがある」ということに気づけたのは、釣りをしていたお陰かもしれません。

釣りをしていたお陰で、毎日外で遊び回っていた子供の頃のように、今でも手を痛めつけることができ、お湯のありがたさを実感することができたのですから。

釣りをしていなかったら、すっかり水道からお湯が出る日常に慣れきってしまい、この小さな幸せを見つけることはできなかったでしょう。

 

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釣りという野外活動を行っていると、都市で室内生活を送っている時とは比べものにならないくらい、不便だったり苦痛だったりすることがあるものです。

しかし、それは決して悪いことではないと思います。
当たり前のように便利な毎日が、本当は当たり前ではなく、とても幸せなことだと教えてくれるのですから。