最近テレビを見ていたら、ハゼ釣り専門のYouTuberという人が出ていたのですが、その人はハゼが好きで可愛くてたまらなくて、釣ってもほとんど食べることはなく、人にあげてしまうそうです。
そんなに可愛いのなら釣るなとか、逃がすのではなく人にあげるのなら自分で食べるのと同じだろとか、どうせなら自分でちゃんと食べて釣った責任をとるべきだとか、様々な突っ込みが飛んできそうですが、私はこの人の気持ちがなんだかとてもよく分かるような気がしてしまいました。
「魚は可愛い、けれど釣りは面白いからしたい」
私は、こういったちょっと矛盾した気持ちを抱えたまま釣りをしているのですが、きっとこの人も同じような気持ちなのではないでしょうか。
こういった気持ちで釣りをしていく上での、ちょうど良い落とし所が、「ハゼ釣りはするけれど、自分では殺して食べない」というスタイルなのだと思います。
楽しいハゼ釣りというものをしたい、可愛いハゼという魚にも出会いたい、しかしそれを殺して食べることはしたくない、きっとそんな考えなのでしょう。
これは、「釣りをして魚という生き物を傷つけるのだったら、遊びのためではなく自分で食べるためにするべきだ」という考えの人達からしてみれば、「責任逃れだ」と批判したくなるような釣りかもしれません。
しかし、私はこういった釣りのスタイルがあっても良いと思います。
「釣って食べる」という釣りをしている人達だって、大部分の人は自分が食べて生き延びるために必要なだけの魚しか釣っていないわけではないのですから、結局は遊びで生き物を傷つけていることには変わらないはずです。
ですから、それを自分で食べようが食べまいが、そこまでやっていることに違いがあるとも思えません。
結局は、釣りという行為をしている時点で誰もが同じ罪人なのですから、魚が可愛くてたまらなくて食べられない人がいても、他の釣り人にはとやかく言う権利はないのでしょう。
こう考えてみると、魚を逃がす釣りをしている私にも、魚を逃がさないで食べる人達を批判する権利もないのかもしれませんね。
釣りをしている時点で、似たようなものなのですから。
それでも、食べきれないほど大量に釣りまくる大量殺戮のような釣りとは、やっていることは違うはずだと、どうしても思ってしまうのですが…