『釣り人の「マジで死ぬかと思った」体験談』という本がシリーズ化され、何冊も出版されているくらいですから、「釣り」と「死」は濃密な関係性を持っています。
今回は、釣りで死ぬということについて、少し考えてみましょう。
一寸先は闇。
釣りは野外の、それも水辺で行われることですから、ちょっとした油断や、ちょっとした不運などで、すぐに命の危険にさらされることになります。
釣り人なら誰でも、「今のはちょっと危なかった」と冷や汗をかいたり、「今ここで、一歩踏み外したら、確実に死ぬな」と思うようなことは、いくらでも経験したことがあるのではないでしょうか。
そのうちの一回でも、不運な方に運命が転がっていれば、あなたは今頃この世にはいないですし、次はどこに釣りに行こうかなどと考えることも、もうできないわけです。
それぐらい釣りは、常に死と隣合せなわけです。
釣りで死ぬと、多大な迷惑をかけることになる。
釣りで死ぬと、世の中には多大な迷惑をかけることになります。
救助、捜索、遺体収容、その後の危険防止への対策などなど、赤の他人に手間とお金を使わせることになります。
迷惑な釣り人の死に方の代表として、立ち入り禁止の危険な堤防に侵入した釣り人が死にまくっている事例があります。
世間に迷惑をかけ、釣り人全体のイメージダウンにも繋がり、何一つ良いことのない最悪の死に方です。
こういった迷惑な死に方を防ぐには、ちょっとしたことを気をつければ良いだけのことです。
・立ち入り禁止となっているような危険な場所で釣りをしない。
・ライフジャケットを着用するなど、危険防止対策をとる。
・自分の体力に見合った釣りをする。
この程度のことを守れば、そうめったに世間から非難を浴びまくるような死に方はしないはずです。
危険ほど楽しいことはない。
しかしながら、私は、死ぬ危険があることも、釣りの大切な魅力の一つだと思います。
自然というものは、本来危険がいっぱいで、人間の力ではどうにもできないようなものです。
そんな中に、身体一つと釣り竿一本を持って、深く立ち入ることは、釣りの大きな魅力だと思います。
釣りというものは、本来とても危険なものであり、その際どいギリギリな世界で魚を釣るからこそ、大きな興奮と喜びを覚えるのです。
だから、なんでも安全に行えば良いとは、私は思いませんし、前述のように人に迷惑をかけまくる形でなければ、命を落とすことがあっても別に構わないと思います。
それぐらいの危険や死に場所を選ぶ自由は、なんでも管理された社会の中でも、残っていて欲しいものですし、釣りに求められている大きな要素だと思うのです。
このような、命の危険のある本来の楽しみに溢れた釣りを、めいいっぱい楽しむためには、他人になるべく迷惑をかけないことだけを気をつければ良いのです。
・日頃から出来るだけ他人と関わらないようにする。
・釣りは必ず一人で行く。
・釣りに行くことを他人に絶対教えない。
・死んでも見つからないような、人間のなるべく来ない場所に行く。
これらのことが実現できれば、危険がいっぱいな深い自然の中で、心から釣りを楽しめるでしょうし、人にスレていない魚もよく釣れることでしょう。
途中で命を落としても、好きなことをしていて死ぬのですから、それほど幸せな人生の終わり方はありません。
生きて帰ってくれば、それだけでも達成感が得られるでしょう。
釣りは一人で行くべきか、グループで行くべきか。 - 釣りにゃんだろう
しかしながら、この国で真っ当に暮らしながら、この条件を完全にクリアすることは、ほぼ不可能なことです。
ですから、私たちは今日も、「そこそこの危険、そこそこの自然、そこそこの釣果、そこそこの喜び」で満足するしかなく、時々「死ぬかと思ったよ!」と笑い話をするような釣りをするしかないのでしょう。
人生、小さく纏りたくないものですが、現実的にはその程度の釣りしかできないのですから、せいぜい他人には迷惑をかけないように気をつけて、「そこそこの釣り」を楽しんでいきたいものです。
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