釣りにゃんだろう

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釣りにメジャーを持っていくべきか。

釣った魚の大きさを判断する時に、海外では魚の重量を重視する所もあるようですが、日本では基本的に魚の全長が重視されています。

ですから、大部分の日本の釣り人はメジャーを持って釣りに行き、大きな魚が釣れたら、長さを計っているのではないでしょうか。

私は、この釣りにメジャーを持っていくという行為が、果たして良いことなのかどうか、時々疑問に感じることがあります。

 

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私は、かなり長い間、釣りにメジャーを持っていかなかった時期がありました。

釣りは、他人と魚の長さを競うものはなく、自分がその日満足できた魚ならば、細かいサイズの違いなどどうでも良いのではないか、と考えて釣りをしていたからです。
私は、釣りにはいつでも一人で行きますし、釣った魚の写真を見せることがあっても、親や友人など釣りをしない人ばかりでした。
ですから、魚の大きさや価値を判断するのは自分しかおらず、そういった状況では、自分の気持ちが物差しで充分だったのです。

 

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ところが、いくらか魚を釣っているうちに、どうしても魚のサイズが気になってきました。
釣りを沢山するようになり、魚がよく釣れるようになってくると、今度はより大きな魚を釣りたいという欲望が大きくなってきたからです。

そこである時、それまでは自分の手で計ったり、ネットの長さと比較して、魚のだいたいの大きさを判断していたのに、メジャーを持っていき魚にあててみたのです。

それまでは、だいたい75センチかな、と思っていたような魚が、メジャーをあててみると73センチだったりします。
だいたいの数字だったものが、はっきりした数字で見えてしまうと、気になって仕方なくなってきます。

こうなってくると、もうメジャーで魚のサイズを計ることが、やめられなくなりました。

 

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今では、ほとんどの釣行でメジャーは持っていきます。

大半の魚は長さを計らずに逃がしていますが、「これは結構良いサイズだ」と思った魚が釣れた時には、長さを計ってしまいます。

さて、こうして釣りにメジャーを持っていく釣り人になってみて、メジャーを持っていかなかった頃と、どちらが幸せだったのか、考えてみることがあります。

考えてみればみるほど、釣りにメジャーを持っていかなかった頃の方が、心が豊かな釣りができていた気がします。

 

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魚の大きさはあまり気にせず、純粋に魚との出会いを喜び、心に余裕を持ってゆったりとした気持ちで釣りができていた気がします。
なんだか今よりも、釣り場の情景なども、より美しく見えていたような気さえしてきます。

今でも、あまりサイズを気にする必要のない50センチ以下程度の種類の魚を釣る時には、メジャーを持っていかないことも多いです。
こういった時は、とても気楽に釣りができて、純粋に釣りが楽しめている気がします。

 

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こうして考えてみると、メジャーというものには、数字で釣り人で縛りつけ、ゆとりをなくさせる力がある気がしてなりません。

現代人は、この社会では、日頃から数字に縛りつけられてばかりの日々を送っています。
時間・お金・血圧・いいね!の数など、数字を気にして暮らさずにはいられない生き物です。

せっかく、そうした数字だらけの世の中の喧騒から、少しだけ離れて釣りというものができるのに、そこでも長さという数字ばかり気にして、窮屈な時間を過ごすのは、なんだかもったいない気がします。

 

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私は、「もうこれで文句ないだろう」と思える大きさの魚が一匹釣れさえすれば、もう釣りにメジャーを持っていくことを止めることができると思っています。
残念ながら、まだそういった魚は釣れていないのですが、その日が来たらメジャーをゴミ箱に投げ捨てて、鼻唄を歌いながら帰宅する予定です。

そして、その日から、またあの心豊かで充実感のある釣りが、自分の中に帰ってくるのだと信じています。