釣りにゃんだろう

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石狩挽歌と釣獲。

テレビで演歌や歌謡曲が歌われる番組を見ていたら、「石狩挽歌」という曲をやっていて、その歌詞を聴いていたら、あまりにおかしくて爆笑してしまったことがあります。

 

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石狩挽歌とは、北海道で昭和期前半まで大量に獲れていたニシンが獲れなくなってしまい、寂れてしまった町で嘆く女の哀愁を歌った曲なので、人を笑わせにきているような歌ではないはずですが、どうしても私は笑わずにはいられませんでした。

ニシンが獲れなくなってしまった理由は、今でもはっきりとは断定されていないようですが、大量に際限なく獲りまくったことが原因の一つであることは間違いないのではないでしょうか。

私は子供の頃、ニシン御殿の跡のような場所に行って、漁が盛んに行われていた頃の写真が展示されているのを見たことがありますが、とんでもなくひたすらニシンを獲りまくっていたといった雰囲気でした。

 

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魚の数は、いくら自然にある程度は回復するとは言っても、獲ることで確実に減るわけです。
こんな簡単な「引き算」も理解できずに、獲れるだけ獲っていたら、魚が減ることは間違いないでしょう。

ですから、石狩挽歌でいくら「あれからニシンはどこへ行った」と嘆かれても、「そりゃあ自業自得でしょ」と思ってしまいますし、「今じゃ、オンボロボロボロボロ」なんて言われても、ギャグにしか聞こえませんから、私は笑わずにはいられなかったわけです。

 

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とは言え、釣り人という立場からすれば、この曲を笑ってばかりもいられないな、とも思います。

釣りだって、海だろうと川だろうと、確実に魚を減らす行為です。
リリースする釣りにしても、全ての魚が確実に生き残るわけではないはずですから、漁ほどの影響力はないかもしれませんが、どんな釣りでも魚を減らすことは間違いないはずです。

ですから、釣り人は、石狩挽歌を笑ってばかりいてはいけないのかもしれません。
自分達も魚の数などに注意して、釣り過ぎないようにしないと、同じことになりかねないからです。

 

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特に魚の乏しい内水面の釣りでは、気をつける必要があると思います。
海のように、毎年大量に魚が生まれるようなことはありませんから、釣りの与える影響は大きいのではないでしょうか。

石狩挽歌を聴く時は、笑ってばかりいないで、「明日は我が身だ」と少しは気を引き締める必要もあるのかもしれませんね。