近頃は、電動リールを使ってジギングして、キハダマグロなどを狙う釣りが流行っているらしいです。
私は、そもそも深海釣りでもない限りは電動リールを使って釣るのは、もう釣りではなく漁に近い気がしてしまい、あまり良いものである気がしません。
そんなところに、ついにルアー釣りまで電動リールでやる時代が来てしまったとは、いよいよ日本の釣りの釣果至上主義も行き着くところまできてしまったなと思っています。
便利で釣れれば、何をしても良いのか?
ジギングという釣りは、ルアー釣りの中でも、かなりの体力を必要とされる部類の釣りです。
一日中シャクって巻き続けたり、巨大な魚とやりとりするのは、誰にでもできるような生易しいものではないでしょう。
そこで、電動リールを使えば、巻き取り続ける体力が必要とされなくなり、より気軽にジギングを行うことができるようになります。
また、誘いまで自動で行えるリールもあるらしく、完全にロッドから手を離して全自動でジギングを行うことさえ可能なのだそうです。
「誰にでも気軽に行える。効率良く楽に魚が釣れる。」、電動ジギングはまさにこのような考えの元に生まれた釣りだと思います。
はたして、釣りというものは、このようなことばかり目指していて良いのでしょうか?
一部の女性や子供などの体力がない人にとっては、電動ジギングを行うだけでも結構大変なことであり、電動リールは便利なものかもしれませんが、それ以外の人々にとっては、便利を通りすぎて楽なレベルになってしまうと思います。
ジギングするのがキツかったら、体を鍛えるとかすれば良いだけの話であり、そこで電動リールを使ってしまったら、努力と工夫をする機会を捨てることになると思います。
私は、この努力と工夫をして魚を釣り喜びを得ることこそが、魚釣りの一番の魅力だと思っています。
ですから、あまりに釣りで楽をし過ぎてしまうと、どんどん釣りの魅力を失っていってしまうと思います。
とにかく魚を効率良く沢山釣ろうという漁のような意識が、日本の釣りの世界には強すぎるのではないでしょうか。
魚を獲って売って暮らしているわけでもないのですから、自分の手で頑張れる範囲で釣りをして、たとえ釣れなくたって良いではないですか。
その頑張る過程こそが釣りという行為の本質なのですから。
電動ジギングは、この本質を忘れてしまった釣りであり、もはや釣りではないのかもしれないと、私は思っています。