釣りにゃんだろう

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ツキの構造

「ツキの構造」という、釣り人にとっては、なんとも恐ろしい話が、開高健の「私の釣魚大全」の中に収録されている。

 

この話は、釣りの「ツキ」にとことん見放され、それを取り戻すまでの連戦連敗の過程を、煮えくり返る釣り人の醜い心情もそのままに、赤裸々に綴られたものである。

最終的には魚が釣れるものの、本当にツキを取り戻したと言えるのか微妙な釣果であり、自分が釣りをする立場で読むと、「こんな風にだけはなりたくない」と恐怖を覚えるものだ。

 

私は、今年の春先に、この話を久しぶりに読み返してみて、「こんな風にだけはなりたくないなぁ」と改めて呑気に思っていたのだが、どうやら気づいたら「こんな風に」なってしまっていたらしい。f:id:nyandaro:20180709210427j:plain

 

今年は、どうもツキに見放されている。
もう一年の半分以上が経過したけれど、一度も釣果に満足したことがない。こんなことは、大人になって、子供の頃していた釣りを再開してからは、初めてのことだ。

私は、毎週釣りに行くような釣りキチ人間ではないのだが、今年に入ってから20日間ほどは釣りをしているので、その全てが惨敗ということになると、もうこれは腕とかの問題を越えて、かなりツキがないと言っても良いのではないだろうか。

 

今回は、簡単にこの惨敗の日々を振り返ってみようと思う。

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4月。
今年初めて釣りに行った。
日光にある湖だ。
去年も同じ時期に来て、朝の数時間だけでポンポンと魚が釣れておいしい思いをしたので、その再現を狙ってきたわけである。

しかし、そんな輝かしい朝の再現はならず、夕方まで丸一日釣りをしたのに、ノーフィッシュ、ノーバイト。
おまけに、そこそこ高いカメラが故障したり、10年以上使っていたバッグが壊れたり、踏んだり蹴ったり。
どっしりとした疲労感を背負って、いろは坂を下って帰路についたのであった。

 

 

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5月。
青いニジマスが釣れるという、山の上にある景色の良い小さな湖に釣りに行った。
まあ、これは他の用事のついでに、ふらっと立ち寄っただけだったので、あまり釣果に期待もしていなかった。

「ヤバイっすよ。何にも起きないっすよ」
駐車場で出会った二人組の釣り人は、私にそう警告して帰っていった。

その言葉通りに、ルアーを投げても、フライを投げても、何も起きなかった。
エサ釣りで、放流されたばかりのようなニジマスを釣っている人を見かけたが、それ以外は釣れている様子は無し。

「まあ、運は次の釣りにとっておこう」
などと、調子の良いことを考えて、腹も立てずにさっさと山を下って帰った。

 

 

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6月。
そのほとんどの時間を費やして、モンゴルの山奥のエニセイ川の源流域に釣りに行った。

今年使えるお金と時間のほとんどを注ぎ込んでいるので、これが今年の釣りの全てだと言ってもいいくらいの大イベントだ。

まだ今年は、ツキを全く使っていないのだから、ここで大放出だ!レッツパーティー!

と、思ったのだが、結果は散々なものだった。
他の人達は130センチくらいの魚を釣っていたのに、私にはそのエサのような大きさの魚しか釣れなかった。

 

まあ、言い訳をしようと思えばいくらでも出来るのだけれど、それもカッコ悪いので、とにかく私は釣りが下手だったということにしておこう。

とにかくそれだけの話なのだ。
私は釣りが下手だから、毎日何万円ものお金を、川に流して捨てるために、地の果てまで出掛けてきたようなものだったのだ。

 

それから、もう一言だけ付け加えることが許されるならば、やはり少しのツキにも見放されていたと言いたい。

そのツキに見放されたままの、ぐったりと悲しみ傷ついた心と身体で、馬に乗り、ラフティングをし、車に12時間乗り、飛行機を3本乗継ぎ、四日間もかかって家に帰ってくる苦行を乗り切る頃には、もう釣りは止めたいと思い始めていた。

 

人は悲しいことがあった時には、それを笑い話に変えるしか、乗り切るための良い方法はないと思うので、次回からはしばらく、この悲惨なツキに見放された旅の話を、出来る限り面白くお伝えしていきたいと思う。

人の不幸は蜜の味とも言うのだし、他人が爆釣する話よりは、悲惨な話の方がみなさんも読んでいて面白いはずなので、しばしお付き合いいただけたら幸いである。