フライフィッシングをする人の中には、ドライフライを使って魚を釣ることにこだわりを持っている人がいます。
バスのルアーフィッシングをする人の中には、トップウォータープラグしか使わないという趣味の人達がいます。
このように、どちらかというと釣果よりも、徹底的に手段や方法にこだわり、釣りを楽しんでいる人というのが、釣り人の中には少なからず居るものです。
一方で、手段は選ばず、エサもルアーもフライを使い分け、とにかく魚を釣ることにこだわっているような釣り人も存在しているはずです。
そして、大部分の釣り人は、これらの人達の間に位置していて、自分なりのこだわりを持ちつつも、釣果を得るためには多少の妥協をしつつ、釣りを楽しんでいるのではないでしょうか。
これらのどのような姿勢で釣りに臨むにしても、最終的には魚を釣って満足感を得るという目的を達成することを目指していることには違わないはずです。
自分が満足感を得られる手段や方法は、人それぞれなわけで、その考えの違いが釣りのスタイルの違いとなっているだけなのでしょう。
ですから、他人に何と言われようが、自分が魚を釣って満足できる方法なら、好きにすれば良いはずです。
ところが、あまりに手段や方法にこだわってしまうと、ついに釣りなのに「魚が釣れなくても満足」と感じるという謎の境地にまで達してしまうことがあるようです。
「ドライで釣れないなら、釣れなくてよい」とか「トップに出ないなら、仕方なし」といった考えをして、魚を釣らずに満足してしまうのです。
これはもう、魚を釣る手段や方法が、魚を釣るという目的を上回ってしまっているという不思議な状態です。
本人達がそれで満足しているのですから、何も言うことはないのかもしれませんが、「魚釣りなんだから、ちょっとは魚を釣らないと楽しくないのではないか」と突っ込みたくなってしまいます。
こういった「ドライじゃないとフライじゃない」と言う人や、「トッパー」などという趣味の人達は、あまり外国には存在しないらしいです。
あまり手段にこだわらずに、合理的に釣果を求める釣り人が、世界的には大多数なようなのです。
こうして考えてみると、かなり日本の釣り人というものは独特な考えを持った珍しい人種なのかもしれませんね。
どちらが良いとか悪いということはないのでしょうが、「めんどうくさい人間」が日本の釣り人には多いことだけは間違いないのではないでしょうか。