釣りにゃんだろう

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ワカサギ釣りなどの、大量虐殺的な釣りをどう考えるか。

「冬の釣り」の代名詞として、ワカサギ釣りというものがあります。
ワカサギは、水が汚くても綺麗でも暑くても寒くても意外と大丈夫な魚らしく、日本中の湖や池に放流され繁殖していて、それを冬に釣るのが旬となっています。

ワカサギというのは小さな魚ですから、釣り人は「2、3匹釣って満足して終了」なんてことはまずなく、何十匹から何百匹まで大量に釣ることを目的にしていることがほとんどです。

これは、ちょっと冷静になって考えてみると、なかなか恐ろしいことだと思います。

 

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ワカサギをキャッチ&リリースする人は滅多にいないでしょうから、釣り人は釣った分だけワカサギを殺すことになります。
一度釣りをすれば、何十~何百ものワカサギの命を奪うことになります。

命というものは、人間は何かと差をつけたがりますが、実際にはどんな生き物にも何の差もなく与えられた平等なもののはずです。

ピラルクだろうと、ワカサギだろうと、一匹は一匹でその命の価値は同じはずです。
それから、蟻だろうとワカサギだろうと犬だろうと人間だろうと、命の価値は本来は同じはずです。

このような観点から考えてみれば、ワカサギを大量に釣る人と、歴史に残るような大量殺人鬼との間には、あまり差がないものでしょう。
たまたま人間の世界には法律というものがあり、たまたま殺人をしてはいけないとなっているだけであり、「命を奪う」という意味では、ワカサギ釣りも殺人も何の違いもないことなのです。

 

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このようにして考えてみると、ワカサギを釣る時にも、その小さな魚体の一つ一つにかけがえのない命があり、それを頂いていて、「申し訳ないけど釣らせていただきます」と感謝しながら釣りをするべきではないかと思えてくるはずです。

ところがどうでしょう、ワカサギ釣りをする人々の中には、このような罪悪感や感謝の心を欠片も持っていないような人が沢山います。

自分では食べきれないほど、何百匹も釣り続ける。
それを近所に配ったりする。(実際には近所の人に迷惑がられている)
このようなことをする人が、ワカサギ釣りには多い気がします。

どんな釣りにも、日本には釣り過ぎ殺し過ぎるような人が多い気がしますが、魚が小さいと罪悪感が薄れるからか、特にワカサギ釣りにはオーバーキル状態が多いのではないでしょうか。

 

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あまりこういうことをしていると、バチが当たったり呪われたり不幸に襲われるなんてことにならないでしょうか。
ワカサギをオーバーキルしている人々は、大量殺人鬼にかなり近い種類の人間ですし、背中には今まで殺した何万というワカサギ達の怨念を背負っているのかもしれないのですから。

やはり、釣りというものは生き物の命を傷つけたり奪うものですから、常識の範囲内で楽しまなければならないのではないでしょうか。
ワカサギ釣りなどの小物釣りというものは、しばしばその常識の範囲を逸したものになりやすく、注意が必要だと思います。