「魚と釣り人は濡れたがる」なんて言葉があるそうですが、海でも川でも湖でも釣り人は水の中に入って釣りをしていることが少なくありません。
胸や腰までの長さがあるウェーダーやタイツを履いて、水の中に浸かっているわけですが、これは魚を釣るためにそうする必要があるからしているだけであり、ルンルン喜んでしている人はあまりいないと思います。
釣り人は、特に何の感情もなく、無意識のうちにジャブジャブと自然に水の中に入っているものなのではないでしょうか。
ところが、一度もウェーディングをしたことのない人にとっては、こうはいかないもののようなのです。
以前、生まれて初めてウェーダーを履いて水に入り釣りをするという人に、釣りを教えたことがあるのですが、すっかりウェーディングに慣れた私から見ると、かなり新鮮な反応をしていました。
「水圧が掛かるのが分かる」とか「これだけでもちょっと面白い」とか「こうして釣りをしてみたかったから、ちょっと感動している」といった我々には考えもつかないような感想を口にしてくれるのです。
「なるほど、いつの間にかすっかり釣りにすっかりスレきってしまい、こういった新鮮な気持ちを忘れていたな」、「自分が初めてウェーディングした時はどんな気持ちだったっけ」などと、色々と考えさせられたわけですが、「まあ、楽しいのは今のうちかもしれないな」とも思ってしまったわけです。
彼は、まだ経験が浅く「ウェーディングの現実」というものを知りません。
このままウェーディングする釣りを続けていけば、様々な状況を経験することになります。
気温も水温も低く、強風まで吹き、体の震えが止まらない中でのウェーディング。
ウェーダーを履いたまま炎天下の中を歩き汗だくになり、もうウェーダーなしで水に飛び込みたくなるような灼熱地獄。
このような「もう勘弁してほしいという状況でも、ウェーディングせざるを得ない」という、呑気に楽しいとは言っていられないような状況に対面することが、必ず出てくるはずです。
このような経験をしてしまえば、もうウェーディングが楽しかった頃は過去のものとなり、嫌でも無の境地で何の感慨もなく水に入る、こちら側の人間に仲間入りすることになるはずでしょう。
かくして、何かに取りつかれたように魚を求め、無言で冷たい水に立ち込む悲しい釣り人の出来上がりです。
いつまでもウェーディングが楽しいと思えるくらい、気楽に釣りが楽しめればよいものなのでしょうが、釣りには強い依存性があり、そうも言っていられないものでしょう。
ウェーディングしている釣り人の背中には、なんとなく悲壮感すら漂っている気がするのは気のせいでしょうか。
もうこの世界に一度足を深く踏み入れてしまったら最後、そう簡単には抜け出せないものなのです。