開高健は、『一時間、幸せになりたかったら、酒を飲みなさい。三日間、幸せになりたかったら、結婚しなさい。八日間、幸せになりたかったら、豚を殺して食べなさい。永遠に、幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい』
という意味の中国の諺があると、著作の中で書いています。(本当にそういう諺があるのかは不明)
これは、なんだか格言めいていますし、カッコいいですし、釣りを全肯定していますから、釣り人には結構人気のある言葉のようです。
私も以前は「なかなかいいこと言うじゃないか」と気に入っていたものですが、近頃はこの言葉に対して、かなり懐疑的です。
釣りをしても、一生幸せでなんていられないでしょうし、それどころか不幸になる気がしてならないからです。
釣りは、覚えてすぐの頃は、本当に楽しいものです。
生命感に満ちた魚達との出会い、失敗と工夫と成功、予期せぬ大成功など。
釣りを始めた頃には、「絶対釣ってやろう」というような深い欲もなく、何もかもに無心で取り組むことができ、純粋な発見と喜びに溢れています。
そのまま純粋に高望みをせずに、釣りを楽しみ続けることができれば、生涯楽しみ続けられて人生を豊かにする、とても良い趣味になるのかもしれません。
しかし、人間というものは、どうしたって欲深いものですから、一度釣りに本格的にハマってしまうと、あれもこれもと目標を設けたり、他人の釣果が気になるようになったりと、どんどんと欲深くなってきてしまいます。
もうこうなってしまうと、釣りは長く厳しい地獄の世界です。
「どこで釣ろう、どうやって釣ろう、他人に釣られてしまっては困る」などと、年中釣りのことばかり考えたり心配することになり、「あれが必要だ、これなら釣れるかも」と、次から次へと釣り具を買い漁ることにもなります。
心は、執着心、嫉妬心、懐疑心でいっぱいになり、貧しくなるばかり。
懐も、釣り具と釣行で出費がかさみ、さびしくなるばかり。
もうなんとも不幸な人生の出来上がりです。
一度こうなってしまった人生を元に戻すには、釣りをやめるか、「もういいや。後はのんびり釣りをしよう」と思えて欲が湧いてこなくなるまで、とことん自分のやりたい釣りをし尽くすしかないと思います。
私は、とことん釣り尽くして、早く幸せな釣り人に戻ろうと思い、今日まで頑張ってきましたが、やはりそう簡単にはいかないもののようです。
釣りは思い通りにいかないことの連続ですし、一つ目標をクリアしても、次から次へと目標が浮かんできてしまうからです。
このままだと、死ぬまでに幸せな釣り人に戻れそうな気配もないので、どこかキリの良いところで、釣りを引退するべきではないかと、考え始めている今日この頃です。