釣りにゃんだろう

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「釣れたんじゃない、釣ったんだ」 釣りの楽しさや喜びは他人任せではない。

「釣れたんじゃない、釣ったんだ」
これほど明快に釣りの喜びを表した言葉は、なかなかないと思います。

私は、この言葉を芸人がモノマネで発しているのしか聞いたことがありませんが、元々はGTなどを釣る人の言葉らしいです。
それほど極限な釣りをしている人の言葉だと知ると、説得力も十分だと思えてきます。


釣りの喜びは「他人任せ」ではない。

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私は、Jリーグの試合を観戦に行くのが趣味です。多い時には、年間30試合以上スタジアムに足を向けていました。
それほどまでに試合を観に行っていたのは、やはり楽しかったからに違いありません。

どのような楽しさかと言うと、テレビやパソコンで中継を見るのとは違いピッチ全体を見ることができ、試合を見ることそのものが楽しいということもありますが、何よりもの楽しみは、やはり自分の応援しているクラブが、得点をあげたり勝利した時に味わえる、爆発的な喜びでしょう。

スタンドで雪崩が起きるような、観客が一体となるあの瞬間の喜びは、味わったことのある人でなければ分からないし、一度味わえば病みつきになるものです。

 

それほど喜びの大きいサッカー観戦ですが、幼い頃にしていた釣りを再開すると、次第にスタジアムに行く機会が減っていきました。

理由は、釣りの喜びの方に、魅力を感じることが多くなってきたからだと思います。

釣りの喜びは自分自身の運と力で得ることができますが、サッカー観戦の喜びは完全に「他人任せ」です。

サッカーを観ていて「もうちょっと頑張ってくれよ」といくら思っても、実際にサッカーをするのは選手であり、そのゴールや試合結果は、自分にはどうすることもできません。

しかし、釣りならば、その結果は、全て自分の力と自然と運次第です。
自分が身体を動かしたり、頭を使えば、魚の気分や運の助けもあり、狙った魚を釣るという目標を達成することができます。

 

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つまり、釣りの喜びというものは、明確な狙いを持って努力し、それを達成できるという、主体性のあるものなのです。
まさに、漠然と釣りをして勝手に「釣れた」のではなく、自分が「釣った」と思えるのが、釣りの魅力なのです。

 

こういった、目標をかかげてそれを達成するという喜びは、スポーツをしても得られるかもしれませんが、釣りの方が比較的簡単に達成することができます。

何かのスポーツをして、大会で優勝したり、オリンピックに出てメダルをとるのは、そう簡単なことではありません。
しかし、釣りならば、自分が釣りたい魚を釣るという目標を達成することは、そこまで難しいことではありません。

つまり釣りというものは、誰でも簡単に自分が主役になれ、自分でサッカーの得点をあげられるようなものなのです。
それは、しばしば運や魚がアシストしてくれるものでもあります。
そして、魚を抱き抱えた時、やはりこう思うのでしょう。
「釣れたんじゃない、釣ったんだ」

 

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このように、釣りをしている時は、竿を握っているあなた自信が主役なのです。
目標を決めるのも、それを達成するのもあなたです。
爆発的な喜びを得られるのもあなたです。
それは、他人や世間には全く左右されるものではありません。
自分で考えて、自分の釣りをして、自分が喜べば良いのです。

ですら、つまらないテクニックや他人のうんちくばかりを気にして、スマホやパソコンを眺めているばかりでは、何も始まりません。
試合に出場しなければゴールは決められないように、あなたが釣り場に立たないことには、あなたの釣りはスタートしないのですから。