釣りにゃんだろう

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一分に一匹釣れる釣り。

「トラウトキング」などの管理釣り場のトーナメントで優勝するような人は、なんと一分に一匹以上のペースで魚を釣るらしいです。

日頃、一日釣りをして一匹釣れれば大成功というような釣りをしている私からすれば、「なんじゃそりゃ?」と言いたくなるような驚愕のペースです。

さすがにそのペースで釣っていたら、いちいち釣れた魚を落ち着いて見る暇もないのでしょうし、最早機械的に釣っては逃がしているだけでしょう。

 

はたして、それを釣りと言って良いのでしょうか?
何か私の知っている釣りとは、全く違うものの気がします。

そこには、苦労して一匹の魚が釣れた時の感動、魚の美しさへの感嘆、生命への感謝といった気持ちはないでしょうし、釣りというよりかはパチンコなんかの趣味に近いもののような気がします。

魚が釣れたことへの喜びや感動はなくても、大会で勝つことは嬉しいから楽しいのかもしれませんが、そんな喜びはあまりに空虚な気がします。

そして、その喜びからは、魚という生き物に針を刺し傷つけているということへの後ろめたさのようなものが感じられません。

 

人間も魚も、命がある生き物という点は何も変わらないわけですし、一分に一匹魚を掛けるのは、一分に一人、人間の子供を吊り上げるのと何も変わらない行為だと思います。

そういったことを機械のように行ってしまうのは、倫理的にちょっと問題があるのではないでしょうか。

もちろん、他の釣りだって同じようなことをしているわけですが、ひたすら釣りまくるわけではなく、釣れた魚には申し訳なさを感じる時間が必ずあるはずです。

この、後ろめたさや申し訳なさを感じるか感じないかでも、人間の行動としてかなりの差があると思ってしまうのですが。

 

このように管理釣り場のトーナメントのような釣りは、ちょっと倫理的に問題があるとしか思えません。

こういったことを大々的にやるのは、あまり誉められたことではないでしょう。

少なくとも、子供達には、こういった釣りがあることを、見せたり教えたりするのは良くないのではないでしょうかね。