釣りにゃんだろう

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釣った魚が縮んだ話。

魚は釣った直後よりも、キープして持ち帰った後の方が、測ってみると小さくなっていることが多いようです。

私は、管理釣り場以外では一度も釣った魚を持って帰ったことがありませんから、よく分からないのですが、こんな話は聞いたことはあります。

 

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125センチくらいのイトウの剥製を見せてもらったことがあるのですが、釣った人の話によると、釣り上げた時には137センチほどあったらしいです。
それから、剥製にする時に死んでしまった状態で測ったら、125センチになっていたそうです。

やはり、お亡くなりになると、何らかの変化が起きて魚は縮むものなのではないでしょうか。

魚のサイズを細かく気にするのなら、生きているうちにきっちりと測っておいた方が良さそうです。

 

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まあ、私は数センチなんて単位まで魚のサイズを気にしていませんし、全て生きて逃がしてしまうので、どうでもよいことではあるのですが、釣った魚が縮んだ話として、もう1つこんなことがあります。

ある日、イトウの釣り場でフライフィッシングをする支度をしている初老の男性に出会いました。
車のナンバーを見るところによると、何千キロも遠くから来ているようです。

 

話を聞いてみると、「一度は釣ってみたくて遠くから来たものの、なかなか釣れないので、もう今日は釣りをするべきか迷っている。身体も弱ってきたので、これがもう最後の旅になるだろう」と、すっかり意気消沈しているではありませんか。

私は、滅多に他人に良いポイントを教えたりしない卑しい釣り人ですが、さすがにこの人には釣ってもらいたいと思い、「あそこに行って、こっち向きにこうしてれば、今日は釣れますよ。行った方が良いですよ。」と言って、腰が重くなっている男性を半ば無理矢理送り出しました。

 

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それから数時間後、夕方になっても男性は帰ってきませんでした。
何か事故でもあったのかと心配になって待っていたところ、もう陽が落ちようかという真っ赤な夕焼けの中、笑顔で帰ってきました。
「ホントに釣れたよ。70センチ近くあった」と、出会った時とは別人のように元気になり、満面の笑みです。

良かった良かったと思い別れ、次の日もその場所に行くと、男性は帰り支度をしている最中でした。

そして会うなり、こう言うではありませんか。
「いや~、釣った魚が縮んじゃったよ。昨日の夜、写真を見て、ネットの大きさと比べてみたら、45センチくらいしかなかったよ。これは、また来ないと行けないな」

おそらく、釣れた瞬間は興奮し嬉しくてたまらず、魚が大きく見えてしまったものの、冷静になって写真を見てみると、ずっと小さかったということなのでしょう。

 

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魚は残念ながらかなり縮んでしまったものの、この魚は「最後の旅だ」と思い詰めていた人に、「また来なくては」と思わせてくれたのですから、サイズなんて関係なく、どれだけ大きな価値があるものだったのでしょうか。
一人の人間の寿命を伸ばしたようなところさえあるのですから、この一匹の魚の持っていた力は測り知れません。

私は、昨日にひき続き「良かった良かった」と思うと同時に、いつから自分の釣りはこんな素直な喜びを失った味気ないものになってしまったのだろうかと、少し虚しさのようなものも感じてしまうのでした。