釣りにゃんだろう

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川釣りというロマン。

時々、私は考えます。
井伏鱒二の「川釣り」という本が、「海釣り」というタイトルだったらどうでしょうか。

なんだか急に文学的な雰囲気が失われてしまいますし、このタイトルでは本として出版されなかったのではないかと思います。

それから、リバーランズスルーイットの小説なり映画なりが、海釣りの話だったらどうでしょうか。

 

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最後に一人で釣りをしているのが、川ではなくビーチだったりしたら、ちょっと「陽」な雰囲気があって、じんわりと人の心を打つようなエンディングにはならないのではないでしょうか。
「もう弟も家族も、みんないなくなってしまったけれど、過ぎたことはまあいいか。それが人生だろう。海は広いし大きいな。今日もいい波が打ち寄せてる」みたいな、ちょっと前向きな話になってしまったりもするかもしれません。

まあ、こんな風に思ってしまうのは、あくまで私個人の思考のせいかもしれませんが、どうしても川釣りというものには、どこか人の心を打つロマンチックなところがある気がしてしまいます。

 

 

神秘的な森に囲まれた川で、一人で釣りをするということは、それだけで感傷的で重いものではないでしょうか。

ヘミングウェイは、川釣りの話も海釣りの話も書いていますが、私は有名な老人と海のような海釣りの話よりも、川釣りの話の方が、ずっと読んだ人の心に訴えかける力がある気がします。

どこか哀しみに包まれたような話が多いですが、川や森の自然の描写の中では、そんな哀しみがより感傷的に訴えかけてきます。

人は、余程の前向きなバカでない限り、誰だって人生に躓いたり、人間関係で失敗したりして、悲しみや哀しみを背負って生きているはずです。

どうも川釣りという世界には、それを受け入れてくれるだけの奥深さがある気がしてなりません。