釣りにゃんだろう

猫のように気まぐれに 独断と偏見に満ちた釣り情報をお届け

釣りと生活の香り。

朝靄がかかる川で夜明けから釣りをして、魚が釣れずに陽がすっかり登り溜息をつき始めた頃、ふと懐かしい香りが漂ってくることがある。

干物を焼く香ばしい匂いや味噌汁の温まる匂いなど、どこかの家で朝食の支度をしている、人の営みから生まれてくる生活の香りだ。

 

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「あそこの家からか」と、河原の茂みの向こうに香りの発生源を確認できることもあるし、肉眼では確認できないちょっと離れた集落からだと予測することもある。

和食の朝食なんて、旅館にでも行った時か子供の頃に祖母の家に行った時くらいしか食べたことがないのに、何とも懐かしくなってしまうから不思議だ。
そして、無性に寂しさや虚しさも感じてしまう。

 

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この土地には確かに人が暮らしていて、家族で温かい朝食をとるような丁寧な暮らしをしている。

そんな場所で自分は一人寂しく冷たい水に浸かり朝から釣りをしていて、おまけに魚一匹釣れない。
こんなことばかりしているから、朝から温かい生活の香りがしてくるような家庭を築くことも、どうやら現世では無理そうだ。

どこかで真っ当な人の道から外れてしまったのではないだろうか。

 

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こんな虚脱感に見舞われながら、ゆらゆらと川の流れに身体を揺すられることになる。

映画の「男はつらいよ」で寅さんが、「夜汽車に乗って一人旅をしていて、車窓から家の灯りを見ると、その一つ一つに真っ当で幸せな家庭があると思い、無性に寂しくなる」というような意味のことを言っていた気がするが、これと同じような感情なんじゃないだろうか。

そんなことを考えながら、いよいよ脚から力が抜けて川に流されそうになってきた時、指先が何かを感じたのか、ほぼ無意識のうちににラインを慌てて手繰りだす。
続いてロッドを立てる。魚が水面を割って飛び出す。
朝陽を反射して眩しいほど美しい魚が釣れる。

 

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その魚を流れに戻せば、すっかり脚にも力が戻ってきていて、ジャブジャブと力強く再び川に入っていきながら、こう思っている。

真っ当な人の暮らしから外れていても、これはこれで悪くないじゃないか。
真っ当な暮らしをしていたら、この喜びを知ることもできないだろう。

そう思う頃には、もうあのどこか懐かしい朝食の香りも忘れている。
ちょっとだけ魚臭い濡れたネットが、腰にはぶら下がっているのだから。