釣りにゃんだろう

猫のように気まぐれに 独断と偏見に満ちた釣り情報をお届け

大物は死が近い。

よく「大きくなって、また会おう」と言って魚を逃がす人がいますが、私は全くそうは思いません。
一度釣るだけでも魚には大迷惑なはずですし、二度も釣るのは申し訳ないと思うからです。
ところが、そんな心配をしなくても、もう出会うことができなさそうな魚が釣れることがあります。
それは、所謂大物と呼ばれるようなビッグサイズの魚です。

 

大きな魚は、魚種にもよりますが、基本的には年老いた魚であることが多いです。
年季の入った体色をしていて、口の周りなんかは色素が沈着しているようです。
ヒレも分厚くてくすんだ色をしていて、若い魚のように透き通ってはいません。
時には身体に苔でも生えているのではないか、というような魚さえいます。

こういった状態の魚というものは、どう考えてももう寿命が近いのではないでしょうか。
ですから、逃がしたところで、もう来年あたりには亡くなっていて、再会する可能性は低いと思うのです。

 

こう考えてみると、大物を釣るということは、年老いた魚を釣っていじめることであり、とんでもなく悪いことをした気もしてきます。

なんとか許してもらえるような言い訳を考えたいところですが、なかなか見つかりません。

魚と同じように私だって来年生きている保証はないのですし、どうしても今釣りたいから釣ってしまっただけの話であり、自分のエゴでしかないからです。

 

限られた命しか持たない魚と私が、一生に一度のチャンスで出会ったというのは奇跡的な出来事ではあるものの、それで釣りを美化できるものではないとも思います。

やはり、釣りというものは、なんとも身勝手で罪深い行為のようですね。