今年の夏は日本でオリンピックが行われていましたが、コロナ関係など競技以外のところが騒がれがちで、ちょっとアスリートには気の毒な大会でしたね。
中には、競技を終えた後におっさんにメダルをかじられた人までいて、余計な騒ぎに巻き込まれて本当に気の毒でした。
結局あのメダルは交換になったようですが、ちょっと時間が経てば本人は意外と気にならなくなったのではないかと、私は思っていました。
なぜなら、アスリートというものは、メダルやトロフィーを獲ることには死力を尽くしますが、獲ったメダルやトロフィーそのものには、それほど執着しないのではないかと思えるからです。
メダルの現物があろうがなかろうが、自分がメダルを獲得したという事実は変わらないわけですし、それを成し遂げたことに価値があるのですから、ちょっと時間が経つと、どうでもよくなってしまう人も多いのではないでしょうか。
メダルを貰って数日は一緒に寝たりして大切にするかもしれませんが、一年も経てば「どこにしまったっけな」なんて状態になっている人も少なくないと思います。
オリンピックのメダルを失くした人や売った人や寄付した人なんかも、世の中には沢山いるようですし、メダルという物自体にはそれほど価値があると感じないアスリートは多いのだと思います。
これは、魚釣りの釣果にも似たようなことが言えるのではないでしょうか。
自己記録のような魚が釣れると、釣り人はよく写真を撮って記念に残します。
言わばこれは、スポーツのメダルのようなものです。
釣り人は、釣ってしばらくは、その写真を何度も見返しては喜びに浸るわけですが、だんだんと見返す頻度が少なくなり、そのうち滅多に見ることはなくなるのではないでしょうか。
こういった行動をとるのは、よい魚を釣ったという事実そのものに価値があり、釣り人を満足させているのは写真ではなく釣果そのものであるために、時間の経過とともに写真には執着しなくなるからだと思います。
オリンピックのメダル獲得と比べるのは、ちょっと大袈裟過ぎるかもしれませんが、アスリートがメダルの現物に執着しないのと、ちょっと似ていると思います。
ごく稀に、釣り人の中には釣れた魚を持って帰り、業者に頼んで剥製にする人もいるようですが、あれもどうなんでしょうかね。
しばらく経つと興味を失い、家の隅や物置で埃をかぶっているなんてことも多いのではないでしょうか。
やはり釣りは釣ったことに価値がるのですから、あそこまでして魚の死体を持っておくことにこだわる必要ははないのではないでしょうかね。