釣りにゃんだろう

猫のように気まぐれに 独断と偏見に満ちた釣り情報をお届け

流れの中で掛けた魚の姿が、なかなか見えない楽しさ。

私は川でのトラウトフィッシングが好きですが、渓流ではあまり釣りをしません。
できるだけ本流と呼ばれるような大きな川で、大きな魚を釣りたいと思っているからです。

そんな釣りにとり憑かれているのは、本流での釣りには独特のスリルがあるからだと思います。

 

 

本流で魚を掛けると、魚の姿がなかなか見えません。

ゴーゴーと流れる川にラインが突き刺さり、ゴンゴンとした手応えが伝わってくるだけで、魚の姿を目で見て確認することはできないのです。

ですから、魚が掛かっても始めは「なんかきた」と漠然とした情報しか得られず、得体の知れないものとの闘いとなります。

ギーギーとリールを逆転させられ、何度も姿の見えない魚に水底深く走られるのは、軽く恐怖さえ感じるものですが、この瞬間ほど興奮することはないでしょう。

手に伝わってくる感覚から、魚種はなんなのか?サイズはどうだろうか?オスなのかメスなのか?などを想像しながら、「はたして自分は無事にこの魚をランディングできて、その答えを確かめることができるのか」という不安に打ち勝ち、冷静に判断して魚を寄せてくる。

 

 

このような短くも長いような興奮に包まれる時間は、掛けた魚の姿がすぐに見えてしまうような渓流釣りには無いものでしょうし、本流釣りならではのものでしょう。

なんとかランディングできると、本流の魚は力強いからか、魚のサイズは思っていたよりも小さいことが多いわけですが、それまでのスリルが加算され、あまり大きくない魚でも、満足感が得られてしまうから不思議です。

写真を撮って魚をリリースし終わっても、明らかに自分が興奮していることが分かります。
轟く川の流れの音が、その興奮を覚めさせてくれて、再び自分を流れの中へと向かわせ、次の一匹への挑戦は続くのです。

 

 

こんなダイナミックな心情の揺れ動きは、小さな川でピチピチと魚を釣っているのでは体験できないものですし、一度味わったら止められない中毒性があります。

たまに渓流でばかり釣りをする人がいますが、私にはそれで満足できているのが信じられませんね。

一度でも本流釣りのスリルを味わったら、なかなか後戻りはできないと思うのですが。