釣りをする上で、「これは要らないだろう」と思えるようなものが、世の中には溢れかえっています。
今回は、そんな中の代表的なものとして、釣り雑誌について考えてみたいと思います。
過去に釣り雑誌が必要とされた理由。
現在では、釣り雑誌の休刊、廃刊、出版社の倒産等が相次いでいますが、過去にはそれなりに盛んに様々な釣り雑誌が出版されていました。
それだけ釣り人からのニーズがあり、商売として成り立っていたのでしょう。
では、釣り人達は、主に釣り雑誌に何を求めていたのかといえば「情報」でしょう。
ほとんどの釣り人達が釣り雑誌に求めていたのは、釣り場などの情報や釣りの技術などの情報です。
それ以外の釣りにまつわる学術的な話や、文学的なものを釣り雑誌に求めていたの人は、ごく少数なはずです。
時代は変わる。
ほとんどの釣り人達は情報が欲しくて釣り雑誌を買っていたのですが、時が流れるにつれて、これらの情報を雑誌に求める必要はなくなり、また雑誌側もこれらの情報を載せられなくなってきました。
まず、釣り場の情報についてですが、昭和の時代にはこれらの情報は、当たり前のように雑誌に掲載されていました。
しかし、時の流れとともに魚が減り釣り人が増えだすと、これらの情報が雑誌に掲載されると簡単に場荒れしてしまい、雑誌でのポイントの公開が許されない風潮が強くなり、掲載しづらくなっていきました。
これによって、釣り場情報の入手源としての価値を、釣り雑誌は失ったのです。
さらに、インターネットやSNSが発達したため、釣り人が情報を得る手段が、完全にそれらのものに移行しました。
これにより、完全に釣り場情報を得る目的では、雑誌は釣り人に必要とされなくなりました。
もう一つの釣りの技術などの情報も、インターネットの発達により、釣り人はタダでいつでも入手できるようになりました。
また、そういった情報を提供する側のメーカーや釣り人側も、自社や自身のサイトで情報を発信した方が、広告収入を得たり商品をダイレクトに販売できるので、わずかな額のギャラ(場合によってはタダ)でろくな宣伝効果のない雑誌に情報を提供するよりも、ずっとメリットがあります。
よって、釣りの技術の情報の入手源としても提供先としても、釣り雑誌は求められなくなりました。
2本の柱を失ったのですから、釣り雑誌は先細りになって消滅するか、やり方を変えて生き残っていくかしかないのではないでしょうか。
これなどは、九州の釣り雑誌の会社のようですが、スマホケースの販売に気合いを入れまくっています。こうした方法も、生き残りの策の一つなのではないでしょうか。
そもそも釣り人に文章は読めない説。
釣り雑誌の内容やニーズ以前に、そもそも最近の釣りをする人の大半が、雑誌や本などの文章を読んで理解することができないのではないか、という問題があります。
あるリールに詳しく聡明な方のホームページを見ていたら、『自作の電子書籍の中で、文字の多い本より写真の多い本の方が売れ、「文字が少なくて良かった」というレビューもあって驚いた』というようなことが書いてありました。
「やっぱりな」というのが、これに対する私の素直な感想でした。
日頃生活していてよく思うことなのですが、この国で「本などの文章を読んで、ちゃんと内容を理解する」ということができる人はかなり少なく、感覚的には人口の10%ほどしかいない気がします。
また、世の中ではラインなどでコミュニケーションをとるようになり、生活していく上でろくに長い文章を考える必要もなくなってきているので、この傾向は加速していっている気がします。
当然、釣り人にもこのような傾向があると言えるでしょう。
ですから、釣り雑誌の内容がどうこうというよりも、本や雑誌を読むことができる人自体が減っているので、釣り雑誌は完全に必要とされなくなってしまうのも時間の問題かもしれません。
こんな状況を見ていると、この先、この国の釣りの世界は一体どうなっていってしまうのか、そうとう間抜けなものになっていってしまうのではないか、不安を覚えずにはいられません。