この夏あたりから、私の家の近所の小川では、夕方になると釣りをしているベトナム人らしき人達を沢山見かけるようになりました。
おそらく1日の労働を終えた後に、自転車に乗って河原にやってきて、わいわいと魚釣りをしているようです。
漁業権なんてない川ですし、せいぜいカワムツかオイカワみたいな、小さな魚しか釣れないのではないでしょうか。
道具も実に素朴なもので、細い一本の竹の竿に、浮きと釣り針だけの仕掛けです。
今は、こういった道具もダイソーなんかで安く買えますから、彼らも気軽に日本で釣りが楽しめるのではないでしょうか。
それにしても、そんな小さな魚を釣って、どうしているのでしょうか。
沢山釣って食べているのか、それともキャッチ&リリースなのか。
私は、彼らの釣りを長時間観察していたことがないので、どちらかはよく分からないのですが、どちらにしてもよくやるものですね。
彼らのこの国での境遇を考えてみれば、決して楽ではない労働を1日やっていることでしょう。
それを終えた後に、わざわざ小一時間釣りをするなんて、大変なことだと思います。
私だったら、さっさと風呂に入って夕飯を食べて寝てしまうと思いますが、彼らには、わいわいと釣りを楽しむ気力があるのです。
それだけ若くて元気なのかもしれませんが、釣りというものが、異国の地で毎日大変な思いをしている彼らの、良い息抜きになっているのかもしれません。
お金もあまりかけず、日々の暮らしを乗り切るための活力となるような釣りを、ちょこっとする。
釣りというものは、本来はこういった姿のものだったのかもしれないと、彼らの姿を見ていると気づかされます。
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それに比べて、我々の釣りはどうでしょうか。
ロッドのアクションがどうだとか、リールのギア比がどうだとか言って、釣り具に大金をつぎ込み、大袈裟に釣りに行ったわりには、魚が釣れなくてストレスが溜まるだけ、みたいな釣りをしている人だらけではないですか。
竹の竿でも、日々和やかに釣りをしている彼らと、一体どちらが幸せなのか、私には近頃ちょっとよく分からなくなってきてしまいました。