魚を獲り、売って利益を得たり、食料を得ることを、漁と呼びます。
これに対して、趣味のレベルで釣りなどを行うことは、遊漁と呼ばれています。
釣り人のことを遊漁者と呼んだり、漁協などの管理者が居る釣り場で、入漁料を支払って交付されるものを遊漁券と呼んだりと、遊漁という言葉は、広く使われているものです。
私は、この遊漁という言葉に対して、昔から非常に反感を覚えていますし、いかがなものかと思っています。
釣りは、生物虐待です。
自分が釣りをする立場なので、言うのがとても心苦しいところですが、釣りというものは、100%生き物を虐待する行為です。
人間が楽しみのために、生き物に針を引っ掛けて引きずり回すのですから、どう考えても虐待です。
魚が痛みを感じるのか?という議論もあるようですが、そんなことはどうでもよいくらい、どう考えても立派な虐待行為でしょう。
犬や猫に針を引っ掛けて引きずり回すのと、魚釣りには、一体どれほどの違いがあるのでしょうか。
私は、やっていることには大差はないと思います。
もっと言ってしまえば、食べ物に困っているわけでもないのに、魚を釣って殺すことは、生き物の命を奪うという点では、殺人ともそれほど差はないことだと思います。
人殺しと釣り人との間には、あまり大きな差はないと、私は思っています。
それだけ、釣りというものは、冷静になって考えてみれば、罪深いことなのです。
釣りを、遊び気分で行ってはいけない。
そのような罪深いことを、遊漁という言葉を使って、遊びという意識で行ってよいのでしょうか。
釣り人は、いつでもその行為が罪深いものだということを忘れずに、大変申し訳ないが魚を傷つけさせてもらっているというような、真摯な姿勢で釣りに望むべきなのではないでしょうか。
釣りは遊びだと思って、軽い気持ちで臨んでしまったら、必要以上に魚を釣ったり、殺さなくてもよい魚まで殺してしまったり、さらに罪を重ねることにならないでしょうか。
やはり、遊漁などと言って、釣りを遊びでしてしまってはいけないと思います。
釣りは魚の命を危険にさらす行為なのですから、釣り人側も遊びではなく、命懸けでするくらい真剣な気持ちで行うべきでしょう。
魚が死ぬのだから、釣り人も、たまには死ぬべき。
毎年のように釣りで命を落とす人がいますが、これはそんなに悪いことではないと思います。
もちろん、いたずらに危険な行為をして、周囲に迷惑をかけるべきではないですが、たまに死人が出るくらいが、釣りのあるべき姿だと思います。
そんな死人の数以上に、釣り人達は沢山の魚の命を奪っているわけですから、人間側にも多少は死ぬリスクがないと、不公平なのではないでしょうか。
遊漁などという言葉を使って、遊び感覚で気軽に行って良いほど、釣りというものは褒められた行為ではないと思います。
魚の命を弄ぶ行為なのですから、自分も死んでも仕方ないくらいの覚悟を持って、真面目に行うべきなのではないでしょうか。
「ちょっと気晴らしに釣りを」なんて気持ちで軽々しく釣りをしてしまっては、
釣りというものの罪深さを忘れることにならないではないでしょうか。
遊漁という言葉や釣りは遊びだという意識は、釣りというものの悪質さを忘れさせてしまうような、とてもいけないものだと思います。