Google大先生などの検索画面に、釣りの対象魚として人気のあるような魚の名前を打ち込むと、予測候補のかなり上位に『魚の名前 タックル』というようなものが出てきます。
それだけ対象魚ごとのタックルを気にする釣り人が多く、日頃から頻繁に検索されていることなのでしょう。
実際にこのブログにも、『イトウ タックル』などと検索して辿り着いた人も多いようです。
私は、このタックルについて検索する行為は、かなり恥ずかしいことなのではないかと思っています。
タックルについて検索する必要があるのか。
極端な話、どんな魚でも竿と釣り針と釣り糸があり、釣り糸が切れなければ釣ることができます。
中には、竿がなくても釣ってしまう達人さえいます。
ですから、そんなに細かく釣りのタックルについてこだわる必要はなく、自分が良いと思うものを、何でも好きに使えば良いはずです。
よっぽどの釣り初心者か、普段全くやらない未知のジャンルの釣りをする場合でない限り、何か釣ったことのない魚を釣る場合でも、だいたいどの程度のタックルを使えば良いのかは、釣り人なら自分で想像がつくはずです。
そういった想像がつけば、わざわざ専用のタックルを新しく買い揃えなくても、すでに自分の持っているもので、いくらでも代用が効くと気づくことがほとんどでしょう。
ですから、自分の頭で考えて釣りをしている人なら、ほとんどの場合で、対象魚ごとのタックルを検索する必要などないはずです。
どういう人がタックルを検索しているのか。
ところが、対象魚ごとのタックルを検索する釣り人が、世の中には沢山いるというのですから不思議なものです。
一体どんな釣り人が、検索しているのでしょうか。
まず考えられるのは、日頃から自分の頭で考えて釣りをしていない人々でしょう。
ある程度釣りをしている人なら、どの程度の大きさの魚を、どのような環境で釣るのかを考えれば、自ずと使うタックルは想像できるわけです。
しかし、日頃から他人やネットの情報に頼ってタックルを決め、そのタックルを使う理由を深く考えもせずに、漫然と釣りをしている人には、自分で考えてタックルを決めるだけの判断力がないのかもしれません。
それから、他の釣り人が使っているのと、同じようなタックルを使わないと間違いだと思ったり、恥ずかしいと思っているような釣り人も、タックルを検索するのかもしれません。
釣りは、レギュレーションや法律などの決まりさえ守れば、何を使って釣ろうが個人の自由なものなのですから、他人と同じようなタックルを使わなければいけないわけではありませんし、他人と違うタックルを使っても間違いではありません。
自分が、ちゃんと魚を釣ることができれば、それが正解なわけで、専用の道具で固めたカタログ的な装備は、必要ではないはずです。
しかし、何をするにも他人のことを気にする、いかにも日本人的な人が釣り人にも多いようで、他人の意見でしかタックルを決められないような釣り人が、タックルを検索しているのではないでしょうか。
主体性のない日本の釣り人。
以上のような、自分の頭で考えて自分で判断することのできない釣り人や、自分の意見を持たず、一人では意思決定できないような釣り人、謂わば主体性のない釣り人がかなりの数存在するために、タックルを検索する釣り人が沢山いるのだと考えられます。
考えてみれば、釣り人に限らず、この国の人間は昔からそういう人が多いのですから、当然と言えば当然なのかもしれません。
こういった釣り人達は、はたしてちゃんと魚が釣れているのでしょうか。
魚を釣るために、自分で考えて工夫したりすることができるのでしょうか。
釣り具メーカーに上手いこと騙されて、道具ばかり買わされることにならないでしょうか。
『対象魚 タックル』と検索した時点で、もうその人の釣り人としての資質はちょっと怪しいものであり、あまり魚は釣れないことになるのではないかと、私は思ってしまいます。