釣りにゃんだろう

猫のように気まぐれに 独断と偏見に満ちた釣り情報をお届け

大人の釣り、子供の釣り。

私は、子供の頃はクワガタなどの昆虫を採るのが趣味でした。
日本中に出掛けていき森でクワガタを採り、それを家に持ち帰り飼育していたわけですが、今になってみるとなんでわざわざ捕まえてきていたのかなと思ってしまいます。

貴重な種類の虫を捕まえてしまえば、それだけ自然界に居なくなってしまうわけですし、飼育して世話をするのも大変です。
今だったら、釣りをして魚の写真を撮って逃がすのと同じように、虫も写真だけ撮れれば充分な気がします。

 


子供の頃そうしてこなかったのは、当時は今のように気軽にデジカメで写真が撮れなかったという事情もあるでしょうが、ただ単に自分が幼稚だったからだと思います。

私の虫採りへの情熱には、生き物を捕まえて持って帰り確実に自分の物にしたいというような、独占欲が働いていたように思いますし、そんな欲望は原始的で子供ならではの幼稚なものだったと思います。

子供の頃の私は、実物が手元になければ満足できない、物質的な喜びしか知らない人間だったのでしょう。
それが今では、釣った魚を逃がしても、その記録と記憶で満足できる、精神的な喜びを知っていますから、わざわざ魚を捕まえて持ち帰りたいとは思いません。

 

 

私は、いつまでたっても立派な大人になれないような、どうしようもない人間ですが、少しは精神的に成長したところはあるようです。

こう考えてみると、数が少ない貴重な魚などを、なんとしてもキープしたいと思うような一部の釣り人たちは、精神的にかなり幼稚な人間なのではないでしょうか。

幼稚だから、ものの分別もつかず、精神的な喜びも知らず、物質的に魚を捕まえるということでしか、喜びを得られないのだと思います。

 

 

子供には何を言っても分かってもらえないということがあるように、そういった人達に「魚を逃がして釣り場の環境を守りましょう」などと話しても、理解してもらうのは難しいかもしれませんね。
精神年齢が小学生くらいの人達なのでしょうし、何を言ったところで無駄なのではないでしょうか。