人というものは、幸か不幸か忘れゆくものです。
嬉しかったこと、悲しかったこと、反省したこと、個人差はありますが、どんなことでも少しずつ忘れて、いつかは記憶の片隅に追いやられてしまいます。
その結果、前に進むことができることもあれば、失敗を繰り返すことになったりもしますから、これが良いことなのかどうかは分かりませんね。
魚が釣れた時の嬉しかったことだって、人は必ずだんだんと忘れてしまうものです。
釣れた当時は嬉しくて毎日写真を眺めていたような釣果だって、いつの間にか写真を見て振り返ることもなくなり、徐々に喜びは薄れていくものでしょう。
去年釣った大物よりも、昨日釣った普通サイズの魚の方が、喜びは新鮮でずっと大きいくらいかもしれません。
このように釣りの喜びは、時が経てばぼやけて薄くなり、新しい釣果によって更新されるからこそ、我々は今日も釣りに行くのかもしれません。
いつまでも魚が釣れた喜びや感動を忘れないでいられたのなら、ある程度の魚を釣った段階で満足して、もう釣りに行く必要はないかもしれません。
その方が余計なお金や時間を使わなくて済みますし、もう風や雨に曝されて酷い目に遭わずに進むのですから、幸せなのではないでしょうか。
しかし、残念ながら人間はそのようには出来てないようですから、我々が釣りから解放されることは、なかなか難しいようです。