釣りにゃんだろう

猫のように気まぐれに 独断と偏見に満ちた釣り情報をお届け

「釣りは、準備をしている時が一番楽しい」

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「釣りは、準備をしている時が一番楽しい」などと、言われることがある。
「分かる、分かる」と頷く人も、多いのではないだろうか。
この表現には、少しの自虐的な意味合いと、寂しさとやるせなさが詰まっていて、なんとも上手く釣り人の心情を表している。
ここでは、釣り人の頭の中の思考の移り変わりを、時系列に沿って少し考えてみたいと思う。

 

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まず、何かの魚を釣り行こうと思う。それには、どう釣るべきか、何が必要であるか、頭の中で準備を始める。
それから、溜めに溜めこんだ手持ちの道具の中から、何を使うのか選定をする。
この時に、「あれば便利かな」くらいの物で、必ずしも必要ではない物を、必ず新しく買うことになる。
こうして、また釣り具は増え、お財布からお金は消え、釣りに理解のない家庭の場合は、家族から怒られたり、あきれられたりする。

さて、使う道具が揃ったら、ラインを巻いたり、フックを交換したり、細々とした準備をする。


この段階が、「一番楽しい」という状態である。
もう、頭の中には、アベレージサイズより、ふたまわりほど大きな魚が、悠々と
数匹も泳いでいる。
「今の時期に、あそこに行って、これをこうすれば」と、考えながら準備をするうちに、頭の中のその魚は、もう針にかかり、何度も何度もジャンプを繰返している。頭の中は、まさにヘブンだ。

そして、釣りに行く前日に眠りにつく頃には、頭の中では、もうその大魚を抱えて、何枚も写真を撮っている。年甲斐もなく、ドキドキして、所謂「遠足の前日状態」になり、ろくに眠れないこともしばしばである。間違いなく、釣り人の一番幸せな時間だ。

 

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さて、釣り当日。
眠い目をこすりながら、焦る気持ちで、釣り場に向かうと、あっという間に、頭の中の大魚が、すーっと姿をくらませてしまうことになる。

まず、あれだけ何日もイメージしていたポイントには、すでに人が入っているのだ。
自分だって、かなり早く来たつもりなのに、この人達は、一体いつから来ているのだろうか。ここに住んでいるんじゃないのか、とさえ思えてくる。

仕方なく、他の場所を見つけることに成功した頃には、もう釣りに良い時間を過ぎてしまっていたりする。人は周りに居なくとも、その足元は、真新しい靴底の形に、踏み荒らされていたりする。

 

ようやく釣りを始めると、またもや計算違いの連続だ。
イメージしていたより、水位が高すぎたり低すぎたり、水温が高すぎたり低すぎたり、濁りすぎたり澄みすぎたり。
結論的には、「どうもここには、魚は居ないらしいぞ」ということになってくる。

それでも、「あれだけ金を使い、時間を使い、準備をしたんだ。諦めてはいけない。奇跡やまぐれでも良い。諦めたら何も起こらないぞ。ネバーギブアップ!」と、心の中の松岡修造を呼び起こし、なんとか一日釣りを続ける。
しかし、どう足掻いても魚は一匹も姿を表さず、ルアーやフライや仕掛けを失い、ただ損失だけが増えていくばかり。

 

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「来ない方がよかったんじゃないか」
それを言ったらおしまいなのだが、どうしてもこの言葉が頭に浮かんできてしまいながら、しょんぼりと帰宅する。
家に着いても、端から釣りに理解のない家族は、全くもって冷たい態度だ。
「なんだ、釣れなかったの。何しにいったのか分からないね」
なんて言いながら、ちょっと嬉しそうだったりする

もう、使った道具の後片付けをする気になんて、当然なれずに、部屋の角にほったらかしのまま、ふて寝をするか、酒でも呑むしかない。
「今回の釣りにかかった費用で、他に何が買えただろうか、他にどんな楽しいことができただろうか」
考えては一番いけないことが、グルグルと頭の中を巡る。

 

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惨敗から数日。
いつまでもほったらかしにしておいても、邪魔だし家族にしかられるので、ちょっと道具を片付けようか、という状態まで、心が回復してくる。
そして、この頃になると、また、あの大魚が、ゆったりと尾鰭を揺らしながら、頭の中に戻ってくる。

「一週間たって、状況が変われば」「今度は、あの場所なら」「あれを買って使ってみれば」
数日前に、あれだけ打ちのめされたはずなのに、気づけばもう、その魚を釣るための策略を練り始めている。
それから、実際に釣りに行く予定をたてると、また振りだしに戻り、同じ過ちを繰り返すことになる。

釣りというのは、基本的にこの行動を永遠に繰り返しているだけなので、魚釣りと言うよりは、道具集めと妄想がメインと言ってもいい。f:id:nyandaro:20180508152543j:plain

けれども、いつまでもそれだけでは、さすがにいつかは釣り人は、釣りをやめてしまうはずだ。
何故やめられないかと言えば、ごく稀にだけれどもあるからだ。
頭の中に現れたり消えたりを繰り返しているあの魚が、現実世界に姿を現すことが。
釣り竿を持ったバカが見ていた夢が、現実になることが。
だから、今日もバカ達は夢を見るのを止めない。
何をしていても上の空で、頭の中を泳いでいる魚のことばかり考えている。