よく、釣りを始める前に「まあ、今日は魚の顔が見られれば良いんで」などと言っている人がいますが、あれは本心から言っているのでしょうか?
「魚の顔が見られれば良い」というのは、とりあえず魚が一匹でも釣れれば良くて、サイズや数にはこだわらないという意味でしょう。
確かに、釣りは「ゼロと1では大違い」なものですし、どんな大きさでも本命の一匹の魚が釣れることには大きな価値があると思います。
その大きな価値があるものが釣れれば良いと言っているのですから、真っ当な考え方な気がします。
しかし、始める前からサイズも数も度外視して、一匹釣れれば良いと本心から考える人なんているのでしょうか。
釣り人は誰でも夢見がちですし、誰だって「今日は大きいのが釣れないかなぁ」などとちょっとは期待してしまうものなのではないでしょうか。
現実的には、そういった期待は、ほとんどの場合で裏切られることになるわけですが、アントニオ猪木ではないですが「やる前から負けること考えるバカがいるかよ」といった感じで、誰だってちょっとは期待してしまっているはずです。
それなのに、釣り始める前から「魚の顔が見られれば良い」と言ってしまう人は、あまり釣れなかった時の保険をかけているようなものだと思います。
内心では大きな成果を夢見て釣りをしたものの、結局あまり釣れなかった時に、始めから「魚の顔が見られれば良い」と言っておけば、自分も他人も納得させることができるはずです。
ですから、「魚の顔が見られれば良い」という言葉は、実は期待の裏返しとも言えるのかもしれません。
本当は「魚の顔が見られれば良い」と言っている人ほど、大きな釣果を夢見ているなんてこともあるのではないでしょうかね。