釣りにゃんだろう

猫のように気まぐれに 独断と偏見に満ちた釣り情報をお届け

釣りはDV彼氏のように。

皆さんは、釣りをしている最中に「もう釣りなんてやめよう」と思うことはないでしょうか?

私は、そんな気持ちになることが、しょっちゅうあります。

凍える寒さの早朝、薄暗いうちから川や湖の中に浸かり、何時間も魚が釣れないと、自分はなんてバカなことをしているのだろうと考え出さずにはいられません。

ただの苦行でしかないのですから、もう今日限りで釣りをやめようとさえ思えてきます。

 

 

それから、どうしてこんなに釣り具を買ってしまったのかと後悔もしてきますし、ヤフオク!で最高額で入札中の釣り具を思い出して、「どうして入札してしまったのだ。もう釣りなんてしないかもしれないのに」とさらに後悔を重ねることになります。

こういった気持ちになることは珍しいことではありませんし、近頃は魚が釣れない時には毎回こんなことばかり考えてしまっています。

 

 

こんな気持ちになる釣りが毎回続けば、私もさすがに釣りから足を洗うことができているはずですが、憎たらしいことにたまに魚が釣れてしまうのです。
それも、「釣りをしていて良かったなぁ」としみじみと思えるような、美しかったり大きかったりする魚なのです。

かくして、私はまた釣りをやめることができず、無駄な時間とお金を使い続けることになるのです。

釣りのこの、やめたくなるほどの絶望と時々訪れる劇的な感動のバランスは、絶妙なものがあると思います。

 

 

まるでDVをしておいて時々優しくする彼氏のように悪魔的なバランスで、私を釣りから抜け出させなくするのです。

総合的に考えたら、釣りなんてお金と時間を無駄に使い、生き物を虐待しているだけなのですから、これほど止めておいた方が良いものはないに決まっています。

絶対によくないことなのに抜け出せないとは、釣りとは本当にDV彼氏みたいなものだなと、最近私はつくづく思ってしまいます。