釣りにゃんだろう

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釣りの残虐性とバードウォッチング。

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私は釣りをやめようと思うことが、実はしょっちゅうあります。
理由は、生き物に針を引っ掛けて引きずり回す釣りという行為自体が、とても誉められたものではなく、罪深いことだと思うからです。

いくらほとんどの魚をリリースしているからと言っても、たくさんの魚を傷つけているのは間違いないですし、釣られたことが原因で死んだ魚もいることでしょう。
釣りをしない人の倫理観からいったら、こんなに残酷な行為はないし、許されないことだと思います

 

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釣った魚を生きていくために食べるなら、まだ許されるかもしれませんが、他にいくらでも食べる物がある時代なのに、わざわざ自分が殺して食べることを楽しむのも、なかなか罪深いことだと思います。

釣り人の中には、ワカサギなどを何百匹も釣って大量虐殺を楽しんでいる人もいますが、あんまりそういうことをしていると呪われたり祟られたりして、ろくなことがないんじゃないでしょうか。

生き物の命の価値に差がないのだとすれば、何千人も人を殺しているのと同じ行為だと言えるでしょう。

 

 

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そんなわけで、釣り欲が途絶えることがなく、未だに実行はできていないながらも、釣りをやめることを何度も検討しているわけですが、そんな時に「釣りをやめてバードウォッチングを趣味にしたらどうだろうか」と思ったことがあります。

バードウォッチングなら鳥を見たり写真を撮るだけなので、釣りのように生き物を傷つけることはありません。
それに、毎日たくさんの鳥を見かけますが、幼い頃に母親に教わった幾つかの種類以外は名前も知らないものばかりで、それを調べながら観察するだけでも面白そうです。

「よし、釣りをやめたらバードウォッチングをしよう」
私はそう思っていました。

 

 

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しかし、しかしなのです。

それから何度か森でバードウォッチングをする人々を見かける機会を得た結果、どうもバードウォッチングの世界も、釣りと同じくらい自然や生き物に優しくない酷いもののようだと分かってきたのです。

私が見かけたバードウォッチングをする人々は、釣り人達に負けないくらい貪欲で強欲でした。
「たまたま見かけた鳥を楽しむ」というわけではなく、「あの鳥を見る」「あの鳥を撮る」というように、まさに釣りと同じように明確な目標があるようです。
その目標のためには、早朝から集団で森に入り踏み荒らしたり、鳥を追いかけ回したり、しつこく観察して巣と卵を放棄させてしまったり、直接手を出さないまでも、どう見ても鳥を傷つけているような人々でした。

もちろんそうではない、善良なバードウォッチングをする人々も沢山いるのでしょうが、私が見かけた限りではバードウォッチングをする人も、釣り人と同じで自分の欲望のため生き物を傷つけるタイプの人々でした。

「なるほど、バードウォッチングにのめり込むと、結局は釣りと同じようなことになるのだな」と私は思い、バードウォッチングを始めようとは、あまり考えられなくなってしまいました。

 

 

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写真、鳥、釣り、山登り、といったものをする人々の一部には、強欲で傲慢で他人や自然に迷惑をかけまくる人達がいるというのは、結構有名なことのようです。
こういった人々は一般社会から批判されることも多く、その趣味全体の評判も落としています。
確かにどれも、最近ではあまりイメージの良くない趣味になっている気がします。

私もこの中の一つのことをするので、せめて自分だけでも他人や自然に迷惑をかけないようにしたいとは思うのですが…
釣り自体が自然に迷惑をかけることだし、自分一人がちゃんとしたくらいではどうにもならないくらい、釣り人には輩みたいな人種が多いし、もう困ってしまいます。

とりあえず、写真、鳥、釣り、山登り以外で、何か自然と触れあえる良い趣味はないものかと、考え巡らす日々なのです。