釣りにゃんだろう

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阿寒川の衝撃的な釣り。

ある秋の日、私は釣りをしようとしていた川が前日のまとまった雨で増水してしまい、釣りができそうもなかったので、少し困っていました。
どうしたものかと、なんとなく地図を眺めていると、阿寒川の文字が目に留まりました。

現在地からは多少距離があるものの、阿寒川は、それほど濁ってはなさそうな状況であり、こんな機会でもなくては行くことがなさそう場所なので、ちょっと試しに行ってみることにしました。

 

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さて、釣り場に着くと、土曜日だったせいか夜明けから駐車場には釣り人がいっぱいです。
道外から来た人らしきレンタカーナンバーの車が多いですが、道内の車も居るのには驚きです。
道内の釣り人は、阿寒川にはあまり行かないと聞いていたのですが、いるにはいるようです。

車を停めるとすぐに入漁券チェックのおじさんが軽トラに乗って現れて、ちゃんと管理がされているようで関心です。
釣り場に向かう釣り人達の流れに乗って川に出ると、川は自然の森に囲まれ倒木が目立ち、なかなか良さげな流れをしていました。
所々、温泉らしきものが湧いている独特な景観も、ちょっと面白いです。

 

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魚が放流されているキャッチアンドリリース区間ということもあり、60センチ前後のニジマスの姿もあちこちで見かけることができました。

放流ものだろうと、良い型の魚を見つければ狙いたくなってなってしまうのが釣り人の性、さっそく釣り始めてみましたが、やはり散々春から人間に釣られているのか結構スレているようで、一発で釣れるほど簡単ではありませんでした。

それでも、ネチネチとセコく釣りをしていると、ようやく口を使わせることができました。
そして、アワせると同時に私は戸惑ってしまいました。
ニジマスとは思えないくらい、引かないし暴れないのです。
ぐーっと犬の散歩のように素直に手元まで寄せてこれて、ようやく多少暴れたものの、そのままネットに入ってしまいました。
フッキングしてから、一度も反転されずに、ランディングできてしまったのです。

 

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ネットの中の魚を覗き込むと、私はこの奇妙なファイトの原因が分かりました。ニジマスの、尾びれは欠損していて見事に台形ですし、片方の胸びれもほとんどありません。
顔もぺちゃんこに潰れています。
サイズは良いものの、身体は完全に釣り堀のニジマスといった感じで、今時は管理釣り場にも逃がされていないくらい状態が悪いです。

おまけに、そのニジマスは、痩せ細っているのです。
おそらく、放流されてから、自然のエサが上手に取れなかったり、人に釣られて弱ったりして、ろくに食べられないまま長時間経っていたのでしょう。
大きくなるまで育てたニジマスを放流し、しばらくしてから胃の中を調べたら、木や石しか入ってなかったという調査を聞いたことがありますが、この魚もエサを摂れていなかったのかもしれません。

 

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サイズが良くても、このような魚では、可哀相になってきてしまい、なんだか悪いことをしたような気持ちになってしまいました。

気を取り直して、その後も釣りを続けてみましたが、釣れたのは似たような状態の魚ばかり。
周りの人に釣られているのも、引かない様子から察するに似たようなニジマスのようです。

私が下手なために釣れなかったのですが、多少は「あれは天然のニジマスではないか」という魚も居ましたが、大部分が弱りきった釣り堀状態のニジマスのようでした。

 

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川自体はせっかく美しいのに、あまりにも魚の状態が悪すぎて、これではジョークのようです。
今時はどんな管理釣り場だって、もっと綺麗で状態の良い魚を逃がしています。
もう、タイムスリップして昭和の時代の田舎の釣り堀にでも来たような気分になってしまいました。

阿寒川は、「キャッチアンドリリース区間に、安易に魚を放流し過ぎると、釣り堀になってしまう」という典型なのではないでしょうか。

阿寒川は、昔は自然繁殖したニジマスが釣れる、素晴しい川だったと聞きます。
、キャッチアンドリリース区間を作っても、それを生かして過度に成魚を放流しなければ、素晴しい川になったのではないでしょうか。

 

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しかし、おそらくそれでは、訪れる大半の釣り人には魚が釣れない状態になってしまい、入漁料をとって沢山の釣り人を呼び込むようなことはできなかったから、今のような観光釣り堀型の形式になったのでしょう。

魚がよく釣れることを望む釣り人側と、遊漁で利益を得ようとする漁協側の両方の望むことが形になったのが、このなんとも奇妙で可哀相な釣り場なのです。

これはこれで一つの形で成り立っているので、文句を言うべきではないのでしょうが、せっかくの綺麗な川を眺めると、ちょっともったいのではないかと思ってしまいながら、阿寒川を後にしたのでした。