釣りにゃんだろう

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忠さんのスプーン バイト

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ストーリーのあるルアーが好きだ。
会社で「開発」という言葉が似合う最近のルアーよりも、人が手を使い、試行錯誤をして生み出し、その人の人生が詰まっているようなルアーを使いたいと思う。釣りとは、本来そういった、とても心情的なものだと思う。

 

例えば、ラパラの誕生までの経緯なんて、映画にでもなりそうな壮大な物語だ。
大量生産されるようになった現在でも、どこか人間くささが残り、とてもよく釣れるのは、ラパラさんが人生の苦難を乗り越るためにルアーを考え出した時の情熱が、まだ宿っているからではないかと思う。

 

ルアーフィッシングの歴史の浅い日本にも、これに負けないくらいストーリーのあるルアーがある。
それが、忠さんのスプーンだ。

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忠さんこと、常見忠さんは1930年に群馬県桐生市で生まれた。
二度の甲子園出場を果たす名ピッチャーで、プロ野球の球団にも入団したが、肩を壊して一年で引退。

その後、薬剤師になると、心の隙間を埋めるように、子供の頃親しんでいた釣りを再開する。
そんなある日、デパートの釣り具売り場で、ルアー用のタックルとスプーンが売られているのに偶然出会う。

 

これを、当時通っていた銀山湖で使用してみると、エサ釣りでは見向きもされなかった大イワナが釣れ、ルアーフィッシングの可能性に震えた。
まだまだルアーフィッシングがメジャーではなかった、1967年のことである。

 

ルアーフィッシングに夢中になるうちに、作家開高健とも交流を深めることになる。
1970年になると、急激にルアーブームがやってきて、ルアーの入手が困難になってきた。
そこで忠さんは、自分でスプーンを作ることにした。これが後の忠さんのスプーンである。

忠さんは、銅板を木型に挟み叩くという方法で、試行錯誤を重ね、地道にスプーンを作り出していった。

これを仲間内に分けると評判が良く、売ってみることにした。
兄の知人の金属プレス業者に、ハンドメイドスプーンを基に金型をおこしてもらい、名前は開高健につけてもらった。
こうして、忠さんのスプーンは、世の中に広まっていくことになった。

 

2011年には忠さんは亡くなってしまっているが、今でも他の会社が受け継いでスプーンを作っているので、忠さんのスプーンは安心して買うことができる。

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忠さんのこういった自然への気遣いも、現在へ受け継がれている。

栄光と挫折を味わい、釣りという趣味に辿り着いた忠さんが、偶然ルアーフィッシングと出会い魅了され、その手で作り上げたスプーンには、まさに人生が詰まっている気がしてならない。

種類が随分と増えてはいるものの、その人生経験の重みのようなものは、今でもスプーンの中に息づいている。

だからというわけでもなく、そもそも基本的な設計が優れているのだろうが、本当によく釣れる。
特に代表作であるバイトは、オールマイティーに使え、何でもよく釣れるルアーの定番だ。

バイトを使用した釣りの一例↓

ハッスル岬にて。 - 釣りにゃんだろう

 

 

僕は、バイトを投げる度に、忠さんの人生のことや、自分の人生のことを見つめ直す。
そして、魚を手にして、釣りというものの持つ、楽しさと哀しみについて、考えさせられる。
それから、いつも一人、風に吹かれながら、暗闇に包まれ始めた水辺を、とぼとぼと去っていく。
いつか忠さんのように、この世を去るその日まで、僕はバイトを投げ続けるのだろう。